【送料無料】60-70年代英国女性ボーカルグループ[ピケッティウィッチ/PICKETTYWICH]+[ミドル・オブ・ザ・ロード/MIDDLE OF THE ROAD] ‘チビチビ天国’ ‘すてきなUSA’
【送料無料】で
60年代終わりから70年代にかけて活躍した英国出身の女性ボーカル・バンドCD2枚を出品致します。レンタル落ちではありません。両盤とも2-3回の試聴です。
① ピケッティウィッチ[that same old feeling / PICKETTYWICH] 全27曲 1970年作品 CMRCD265 2001年CD発売 英国盤
*詳しい曲目は、画像4をご覧下さい。
② ミドル・オブ・ザ・ロード[The Very Best Of / MIDDLE OF THE ROAD] 全12曲 SI646802 2001年CD発売 仏国盤
*詳しい曲目は、画像5をご覧下さい。
①は、
紅一点の女性リードシンガー、 ポリー・ブラウン(1947年4月18日英国バーミンガム生まれ)を含む6人編成で、69年にオーディションで選ばれたメンバーでピケティウィッチが結成されます。翌70年リリースのシングル「That same old feeling」で全英チャート5位の大ヒットを記録。最初にして最後のアルバム『Pickettywitch』を発表(CDに全12曲が含まれる)後、72年にポリー・ブラウンは脱退します。女性歌手が前面に出たこのグループは、トニー・マコーレーとジョン・マクラウドによって書かれたヒットシングル「That same old feeling」で有名になり、1970年に全英チャート5位に入ります。オリジナル・メンバーはポリー・ブラウン(ボーカル)、クリス・ウォーレン(ボーカル)、ボブ・ブリタイン(オルガン)、マーティン・ブリッジス(ギター)、マイク・トミッヒ(ベースギター)、キース・ホール(ドラム)でした。ピケッティウィッチは、レコードプロデューサーのジョン・マクラウドがパイ・レコードにサインし、1969年7月にデビュー・シングル「You Got Me I don't Know」をリリースしました。そのシングルは、数ヶ月後に米国チャートでTOP40をとなった彼らの最初のヒットシングルです。続く2つのシングルもその年に全英チャートインしました。1970年、「デイズ・アイ・リメンバー」はラジオではオンエアーされましたが、チャートには登場しませんでした。ポリー・ブラウンは1972年後半にソロ活動でグループを離れます。
注;尚、盤は奇麗なのですが22曲目に音飛びがあります。出品に際して(実は)初めて聞いたのですが、目視では傷ではなくディスク自体の最初からのバグのようなものと思われます。その様な商品である事をご了承の上ご検討下さい。
追加
『70年頃、エジスン・ライトハウスの「恋のほのお」などが八木誠さんの番組でかかっていた。そんな中にピケッティウイッチの「恋はフィーリング」もあった。これはその紅一点ポーリー・ブラウン率いる6人組のパイ時代(69-73年)の唯一のLP‘Pickettwitch’と全シングル、未発表1曲を加えた完全版。トニー・マッコーリーらしくポップのプロによる名曲揃い。バカラック調の曲も多く、ポーリーが‘英国のディオンヌ・ワーウィック’と呼ばれるのもわかるし、ソフト・ロックファンも要チェック。ポーリー自身のライナーも楽しい。』
レコード・コレクターズ 2001年12月号 三宅はるお氏ライナーノーツより
②は、
ミドル・オブ・ザ・ロードは、1970年代からヨーロッパとラテンアメリカで成功を収めているスコットランドの4人組ポップ・グループです。ABBAが70年代半ばに登場する前、ミドル・オブ・ザ・ロードは女性ボーカル、サリー・カーの独特のハーモニーとリードボーカルを持つ初期のユーロ・ポップのバンドでした。彼らのシングル4枚が、それぞれ100万部以上を売り上げ、ゴールドディスクを獲得し、「チャーピー,チャーピー,チープ,チープ」「サクラメント」「トゥイードルディー, トゥイードルダム」「ソリー・ソレイ」の4作品で1972年初頭までに500万枚以上のレコードを売り上げました。
バンドは、オリジナルのリードシンガー、サリー・カー、ドラマーのケン・アンドリュー、ギタリストのイアン・マクレディ、ベーシストの兄エリック・マクレディが1970年4月1日にスコットランドのグラスゴーでバンドを結成しました。彼らはすでに1967年以来、「PART 4」の名前で一緒に演奏し、後に「ラスカラカス」という名前でラテンアメリカのスタイルで一緒に演奏していました。「ラスカラカス」の名前で、彼らは英国のテレビタレントショー/オポチュニティノックに出演しました。しかし彼らは本国イギリスでは成功を出来なかったため、1970年にはイタリアに移住します。そこでイタリアの音楽プロデューサー、ジャコモ・トスティと出会い、バンドに独特のサウンドをもたらします。その後1971年6月にイギリスのシングルチャートでもNo.1を達成することとなります。「ミドル・オブ・ザ・ロード」は、1971年から1972年にかけてイギリスで5枚のヒット・シングルを記録しました。ドイツでは特に大きな成功を収めており、1971年から1974年にかけて11回のトップ40ヒットを達成した。「チャーピー,チャーピー,チープ,チープ」と「サクラメント」はスカンジナビアのラジオで何回も演奏されました。またオランダでは、1971年から1973年の間に4つのNO.1ヒットを記録しました。 1974年、初期のベイ・シティ・ローラーズのメンバー;ニール・ヘンダーソンがギターでバンドに加わります。日本では深夜放送で「TALK OF ALL THE USA=すてきなUSA」が頻繁に流れました。
在庫整理で出品致しますが、申し訳ありませんがバラ売りは致しません。2枚セットでの購入をお願い致します。大切にしまってありましたが、盤面は奇麗ですが、保管期間は長かったので、神経質な方はご遠慮下さい。ノークレームノーリターンでお願い致します。迅速な発送を心がけます。
他にも音楽CD・DVDを中心に色々と出品しています
↓