希少本 ギター楽譜 ギターのためのコンポジション
服部和彦 作曲
全音楽譜出版社
昭和57年
49ページ
約30.5x24.5x0.5cm
※絶版
※別刷りの訂正表付き
※見開きに著者直筆サイン入り(宛名有り・画像では宛名部分は白抜きにしています)
過去10年間、ヤフオクにも出品されたことのない珍しい楽譜です。
【まえがき より】
私かアラビアへ初めて渡ったのは1975年のことである。そこで最初に聴いたものは,街角から流れて来る奇妙な韻律のメロディーであった。それがコーランの朗誦とわかったときの感動を,私は今だに忘れられないでいる。それが発端となって,以来アジアからアフリカにかけて私はいくたびか訪ねることになった。さまざまな音楽や人々に出会った。それらの音楽は,洗練されていないかもしれないがバイタリティがあり,あるいは華麗でないかもしれないが、聴く者を酔わせるのである。私の音楽観はこの時期から変わった。そのような音楽に惹かれ,また触発されたのである。そして同時にギター曲を書いた。ギター曲のみを書いたのだった。
この曲集に収められた作品は,ほとんどがここ3~4年の間に書かれたもので,中東方面へ出かけていた当時に作曲したものはない(全て散逸してしまった)。しかし作曲上の立脚点というか,原点になっているものは,その当時につちかわれたものが深く関与していると思う。いずれこの観点は変わるかもしれないが,私の内部で一時期を画したのは確かである。
この曲集には,ギター・ソロ4曲,デュオ1曲,アンサンブル1曲が収められている。これら6曲の性格や成り立ちについて若干ふれたい。
「セプテンバー・ブルー」は短い小品だけれども,自作ギター曲の中では最も好きなものの一つである。秋の澄みきった空気感が作曲のイメージとしてあった。
「ドライ・オーガスト」は,篠原正志氏の委嘱により,氏のリサイタルのために作曲したものである。作曲を始めたのが8月だったので,このような曲名となった。2曲とも音楽の素材は季節である。
「イリュージョン」は,トロント・ギター・ソサエティの委嘱により,第3回トロント国際ギター音楽祭のために作曲したものである。表題ば意識できない心の内覧″を
暗示している。
「シンクレティズム」は,私の一番愛好する楽器のために作曲したもので,イリュージョンと同じく,音楽の素材は心象風景である。ここ数年来,私にとって問題となっているのは,不安や攻撃性といった心の奥底にあるものを,どのようにとらえ表現するかということであった。少し気取っていえば,以上の4曲は,心象風景の音楽的描写の試みといえるかもしれない。
「響」とは様々なひびきや音色の様相というほどの意味である。特に,音の流れの勢いや奔放さといったものが音楽の要素となっている。「ギター・ソロのための響」は,日本的なものの間とかリズムに触発されて作曲した。
「二つのギターのための響」は,この曲集の中では最も古いもので,ギターニ重奏の新しいスタイルとか表現力の可能性について考えていたころの作品である。
このたび上梓されることになって,一部改訂を行った。どの曲も作曲当時のことが思い出されて愛着を感じる。ギターは好きな楽器であるだけに,感慨もひとしおである。
【目次】
September Blue セプテンバー・ブルー ギター・ソロ
Dry August ドライ・オーガスト ギター・ソロ
Illusion (幻影) イリュージョン ギター・ソロ
Kyo (響) for guitar solo ギター・ソロのための響(きょう)
Kyo (響) for two guitars 二つのギターのための響(きょう)
Syncretism No.1 シンクレティズム フルート・ギター・チェロのアンサンブル
【服部和彦 略歴】(刊行当時の情報)
1944年生れ。ソルフェージュを父に,作曲を諸井三郎に師事。1967年日本大学工学部電気工学科卒業(音響工学導攻)。1975~77年,民族音楽研究のためアジア~中東~アフリカの各国を歴訪。また1981年より,アジア人のための゛現代ギター音楽祭″を企画し,制作を担当する。音友会代表。作曲に関する入賞入選歴4回。
〔主要作品〕ギター曲集,管弦楽のための響(きょう),シンクレティズム,弦楽四重奏曲,女声とピアノのためのレクイエム など。