【目次】
図版目次
帖佐美行の作品 河北倫明
図版
帖佐芸術を語る〈対談〉 梅原猛・帖佐美行
素描 帖佐美行
「暖陽春」制作ノート 帖佐美行
作品紹介 谷岡清
年譜
あとがき 帖佐美行
【図版目次】製作年記載有
牛〈建築装飾〉
或るホールのための作品(B)〈建築装飾〉
青想連作〈建築装飾〉
青想(光と愛)〈建築装飾〉
牛 或るホールのために〈建築装飾〉
夜光双想〈建築装飾〉
田園〈建築装飾〉
創生〈建築装飾〉
自然の胎動(C)〈建築装飾〉
朝陽〈建築装飾〉
萌春想(A)〈招客ルームのためのモビール〉
黒磯回想〈迎雅香燈〉
室生への道〈水指〉
ユーカリの詩〈迎雅香燈〉
昇龍和唱〈迎雅香燈〉
花心の譜〈迎雅香燈〉
砂丘の龍想〈水指〉
命城賛想〈花器〉
蘭花集想〈酒器・果汁器〉
椿のある道〈酒器セット〉
館への道〈飾壺〉
池畔の椿〈花器〉
四季の風音〈飾壺〉
白鳳凰一対〈大花瓶〉
青龍〈大香炉〉
巡輪双聖想〈器〉
晴心牡丹〈飾壺〉
公慶〈捧げ物のための器〉
白嶺〈集いのための器〉
梅文寿〈蓋物器〉
待鳥瑞想〈飾壺〉
長谷寺廻想〈酒器セット〉
澄風想〈香器〉
静風庭遊想〈水指〉
火の鳥〈レリーフ〉
陽拝聖鳥〈香器〉
星座の羊〈一輪挿〉
淡雪鳩の夢〈水指〉
祭りの夜〈飾壺〉
実りの秋〈水注〉
暖陽春〈レリーフ〉
夏渡る風〈一幅挿〉
双鳩聖想〈水指〉
「聖牛」晴牡丹〈置物〉
独り咲き椿〈一輪挿〉
夢を抱いて〈水指〉
皐月薫風想〈飾壺〉
蕾と風と〈水指〉
詩愛の鳥双〈水指〉
待宵の售〈酒器セット〉
爽陽華心〈集いの筥〉
爽陽想〈飾壺〉
太陽の緑園〈レリーフ〉
春秋麗風〈香器〉
錦流想〈香器〉
夏草と小鳥〈酒器セット〉
豊華想〈飾壺〉
和讃想〈飾壺〉
東の讃想〈レリーフ〉
郊外の白鷹〈一輪挿〉
牧場の夢想〈水指〉
豊華瑞島〈魂の館〉
縁雅想〈香器〉
白椿双風想〈宝石筥〉
ユーカリと夜聖鳥〈飾壺〉
【序文】より一部紹介
このたび旧知の帖佐美行さんが、この四半世紀間に発表した代表的な作品を主体に作品集を公刊なさるという。過日、その刷り上がった図版を見せてもらったが、1959年の建築装飾「牛」にはじまり、円熟した近業の数々にいたる六十五点は帖佐さんの熱い精進のあとを語るとともに、今日における日本工芸の動向の一断面を卒直に、また堂堂と提示しているようで印象的であった。その芸業はただ金工界の動きを示すというにとどまらない。むしろ、独自の感性と伝統をもった日本工芸の今日における在りようの一好例を提示しているという形で意義の深いものがあった。帖佐さんの芸業の迫力もまたそこに関わっていたのである。
かつて故岡田譲が金属工芸の特性として、第一には堅牢度に発する永遠性への信頼感、第二には成形の自由から来る表現の自由度、第三には材質のもつ美観の幅のひろさ、変化の面白さ、表情のゆたかさといった点を挙げ、帖佐さんがそうした金属材料を駆使する技術や造形化へ導いていく文法を知りぬいて独自のドラマチックな表現を確立している様子に注目したことがあった。確かに、そういう意味で、帖佐芸術が金属工芸独特の妙趣を自在に発揮しなからドラマに富む表現を繰りひろげてきた事実は万人の認めるところであろう。事実、この集に盛られた建築装飾や、迎雅香燈や、水指、花器、酒器等
等の多彩な器物をみると、作者の表現の自由さ、卓抜さ、ロマン溢れる華麗さ、重厚さに思わず眼を見張るものがある。固い金属がこれほど柔かな表情と優しさを持ち得るものかと驚く人も多いかと思われる。
そこで私は思うのだが、このような表現が出てくるための条件は。もちろん金属工芸特有の材質に対する知見と技法の練磨といったことだけにとどまるまい。それらも不可欠の条件には違いないが、私はむしろそうしたものに方向を与え、どこまでも技術と知見を引っぱっていく作者自身の意欲とロマン、いわば無形の激しい情熱と目標が内部に渦まいていなければ成立し得ないと見る。このような形のない意欲と情熱こそがあの活力あふれる一流のドラマチックな表現を呼び起こしてくる本源に他ならなかった。逆にいえば、こうしたものが作者を駆り立ててやまないからこそ、あの自由な技術や工夫が導かれて出てきたわけであろう。
このような作者の内部に渦まいているらしい無形の意欲と情熱に視点をおいて展望すると、帖佐工芸の展開のようすは特別に意義深い相貌を呈してくる。そこには今日の日本の工芸家としての一貫した志向と歩みがはっきりと浮かび上がってくるのである。(後略)
【作品解説】より一部紹介
はじめに
帖佐美行氏の作品は、大きく三期に分けられる。
第一期は、江戸時代以来の伝統をそのまま受け継いで、いわば職人的な技術の習得に努めていた時期。作品も日常生活の中で用いられる置物など、比較的小品が多く、やや大きなものでも、まだ帖佐色が出ていない。
ところが、昭和三十年代の中頃になると、作風は一変して、鉄パイプや大きなパネルを駆使した建築装飾を造るようになる。これが第二期で、伝統という束縛を一気に打ち破り、細工物的彫金の世界に大きな衝撃を与えた。彫金を床の間という私的な空間からホールのような公共の場へ解放したともいえよう。生花から発したオブジェや抽象芸術などの影響も考えられるが、その底流として、旧態依然の彫金では時代に取り残されてしまう、という危機感があったことも確かである。
そして第三期は、一期と二期の融合とでもいうべき時期(河北氏はこの期をさらに二つに分けておられる)、最近の十年がこれに当たる。檻を出て、空にはばたいた隼は、再び地に降りて、足許をしっかりと踏み直している。よき伝統は生かし、日本人の感性に基づいた新しい生活空間の中で、生き生きと存在を主張する新時代の”使える工芸”を目指して、いま帖佐氏は意欲十分である。
この作品集には、作家としての創造に目覚めた第二期以後の作品が収められている。
以下、作者の話をもとに、主な作品について簡単な紹介を記す。
1 牛 建築装飾 一九五九年 五一二・〇×八四・〇センチ
レリーフを始めた初期の作品。帖佐氏が、金属の塊を彫りくずしていく伝統的な彫金法をやめ、薄板を叩いて成形していくパネルを試みたとき、最大の関心は、作品の充実感、溢れるエネルギーをいかに表現するかであった。空疎な大作となるのを恐れた作者がまず考えたのは、力のある対象を選ぶこと、つまり表現力の不足は対象の持つ力で補ってもらおうというのであった。それには鈍重ながら力のシンボルともいうべき牛が最も適している。しかし、師の海野清氏に、品位のないものは作品に非ず、と言われていた。それなら品位のある牛を選べばよい。早速動物園に通い、大きくて品のよいインドの白牛を選んでスケッチをした。重量感を強調するために脚も短くしてみた。力作「牛」はこうして生まれたのである。
一度心を決めれば、それを表現する技術の裏付けを持っているのがこの作者の強味であろう。この作品も薄い銅板(0.8ミリ)とは思えない重厚さと躍動感を持つ。古代のクレタやペルシャの先人たちが牛に求めたのも同じ想いであったに違いない。線彫りも美しい。
金を水銀に溶かし、そのアマルガムを銅板に塗り、熱して水銀を蒸発させ、金をメッキする技法を金ケシという。この「牛」も金ケシで金色をつけ、周辺には緑青で色の変化をつけている。
40 実りの秋 水注 以降寸法略
茶道の懐石中、酒を出すときに用いる銚子である。燗鍋ともいう。上下にアラレを打ち出し、胴部は毛彫りで植物文を表す。提げ手の両端をひねり、飾りとしている。小品ながら、端然として気品を備え、なかなかの佳品である。
伝統的なアラレ文を用い、茶席での違和感を避けつつ、昭和の茶会は昭和の器でと主張する作者の、したたかな作品といえよう。
41 暖陽春 レリーフ
春の陽だまり、芝生の上に、鳩が安らい、花が咲く。平和の情景そのままといってよい。帖佐氏の最近のレリーフは、かつて彫金界の革命児を自負して大作に撓み、正面から力で押していった頃の作品に比べると、はるかに力を内に抑えた静かなものになっている。本人は、時代の反映と言い、鉄パイプを曲げる力がなくなったので、と笑っているが、それだけ、力まかせでなくとも意思を伝達できる技を完成し、円熟した境地に足を踏み入れてきたともいえよう。
この作品も、鳩と花というありふれた対象を上下に並べただけの構図だが、それぞれの彫技が素晴しい。レリーフは彫刻と違い、わずかな凹凸によって、立体としての存在感を出さなければならない。それは、彫っていない向う側をいかに感じさせるかにかかっている。つまり境界線の彫り方が重要な役割を果たす。と同時に、花の方は葉の重なりなど、遠近感も必要であり、また花びらと葉の質感や水分の違いまで感じさせなければならない。これらが総合されて、初めてレリーフが作品として完成する。この作品の技法については「制作ノート」に詳しく述べられているので参照されたい。
43 双鳩聖想 水指
師の海野清氏から、品格がなければ作品ではない、と言われたことは前述したが、この作品は、帖佐氏がその言葉をどう受け止め、どう理解したかを示す一つの解答と見てよいかもしれない。
形といい、色といい、文様といい、きわめて完成度の高い作品である。決して大きな器ではないが、
あたりを払う気品がある。金ケシの淡い金色が銀の地と融け合い、やや抑えた鳩の文様が高貴な芳香(後略)
50 待宵の筥 酒器セット
これも楽しい集いのための酒器セットである。ボストンバッグ形の器の上蓋を取ると、中に酒注ぎと六客の杯が入っている。ムクゲの黒い花は赤銅の切りばめ象嵌。これだけ大きな部分を曲面に象嵌するには、よほど正確に切らなければ、銀地にぴたりとはまらず、狂いが出てくる。銀地に赤銅の白と黒のコントラストが新鮮で、白いテーブルクロスの上で、いかにも映えそうである。
52 爽陽想 飾壺
これは、皇室へ納めた作品の試作。銀地に鳩、椿、秋草などが彫られている。やわらかな毛彫りの線が薄紫の色彩とよく調和し、全体に品格の高い作行きである。外国の賓客を迎えたとき、天皇陛下は、宮城内の武蔵野の面影を残した自然をよく話題にされるとか。そこで、話題のきっかけになるよう、武蔵野の草花をテーマにしたという。上下に巻かれた赤銅の黒色が形を引き締め、胴部の張った力強さをいっそう際立たせている。
ほか
【「暖陽春」制作ノート】より一部紹介
① 彫金にとって、鏨は最も重要な道具で、制作の工程に応じて、いかに各種の鏨を使いこなすかが、作品の出来に影響してくる。ある程度種類も必要だが、それぞれの特質をよく理解しておけば、角度を変えたり、打つ強
弱によって、可能性は無限に広がる。
鏨は大きく分けて、二種類ある。一つは、切ったり削ったりする刃鏨で、刃がついている (上の図)。刃の形により彫り囗が変わり、線の味が違ってくる。私は硬い特殊鋼を使っているが、よほど慣れた人でないと、彫り口が味のないものになってしまう。刃先が微妙に違うため、色テープで目印をつけてある。左の2本は布目用のもの。
② もう一つは叩くための打ち出し鏨で、刃がついていない(下の図)。用途によって、太さや丸みが違い、円形、楕円形などがある。
③ 金槌は、打ち込む力の必要度に応じて使いわける。強く打つ時は大きくて長いもの、細かい作業が必要な時は小さいものを用いる。特に刃鏨で細い線を彫る時などは、鏨に当たる面の広い金槌を使う(下段中央)。刃先の方を凝視するので、見えない鏨の頭を打ち損じないためである。打ち込む位置がそれほど厳密でない時は、直接金槌で打つこともある(⑩参照)。右上の木槌は、制作途中で反った銅板を平らにするためのもの。
ほか
【帖佐 美行】(ちょうさ よしゆき、1915年3月25日 - 2002年9月10日)
彫金家、文化勲章受章者。
鹿児島県生まれ。本名・良行。1930年小林照雲に師事、1940年海野清に師事する。1942年新文展に初めて入選、戦後は日展に出品し、1954年特選、翌年も特選。57年日展審査員。1958年日本金工作家協会結成に参加、日展評議員、1962年現代工藝美術家協会結成に参加、1966年日本芸術院賞受賞、69年日展理事、1974年日本芸術院会員、1975年日展常務理事、1978年日本新工芸美術家連盟を結成、1987年文化功労者、1993年文化勲章受章。