美本『世界の伝記 勝海舟』滑川道夫 1982※幕末 江戸開城 坂本龍馬 西郷隆盛 徳川慶喜 佐久間象山 松平春嶽 海軍操練所 榎本武揚 山岡鉄舟

美本『世界の伝記 勝海舟』滑川道夫 1982※幕末 江戸開城 坂本龍馬 西郷隆盛 徳川慶喜 佐久間象山 松平春嶽 海軍操練所 榎本武揚 山岡鉄舟 收藏

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   昭和57年(1982)に、ぎょうせいから出版された

世界の伝記全50巻のうちの第7巻・滑川道夫の『勝 海舟』

(初版・定価1500円)である。とても本の装丁が美しく

今や希少本である。本書はネットのアマゾンでは1点のみ出

品され、1900円+送料257円、計2157円の値がつ

いている。


  紹介文には「古今東西の偉人50人を選び、一流執筆陣が

その人生ドラマを鮮烈に描く、現代人必読の書き下ろし伝記

シリーズ。小中学生から大人までを読者対象とし、今まであ

まり取り上げられることのなかった興味深い人物も加えた斬

新な内容になっています。21世紀に生きる現代人に贈る、

本格的伝記文学。単に偉人の業績を綴った記録ではなく、激

しく生きた人間自身のドキュメント」と、綴られている。

 本書は、実に平明にわかりやすく説明し、エピソードも豊

富に盛り込まれている有益な内容である。


【著者紹介】

   滑川道夫(1906~92年)は、秋田県出身の著名な教

育者、教育学者である。秋田師範学校卒業。昭和5年(1930)

『北方教育』を創刊。生活綴方運動を展開し「東京綴方の会」

に参加した。この二年後に上京し、成蹊学園の訓導となる。

夜間の日本大学へ通い、苦学の末に卒業した。また、同学の

教育科学研究会に参加した。戦後、同21年児童雑誌『銀河』

創刊に参加した。その後、東京成徳短期大学教授、東京教育

大学教授を歴任し、国語教育や児童文化を研究の分野で高く

評価された。日本児童文学学会会長も務めた。この間同35

年『少年少女つづり方作文全集』で産経児童出版文化賞受賞。

同56年『桃太郎像の変容』で毎日出版文化賞受賞。平成元

年『日本児童文学の軌跡』で日本児童文学学会賞受賞した。

著書は本書以外にも多数ある。


【 目 次 】

・巻頭口絵写真「晩年の勝海舟」   
          
●第一章「青少年時代」

・朗読の声

・貧乏勝

・御殿づとめ

・野良犬に噛まれる

・剣と禅

・蘭学への情熱

・書くことは読むこと

・塾を開く

・黒船来る

・江戸から長崎へ

●第二章「波頭を越えて」

・嵐とたたかう

・太平洋を渡る

・先進国アメリカを見た人びと

・揺れ動く時の流れ

・攘夷に傾く中で

・艦隊大坂へ進む

・睨まれる海軍操練所

●第三章「攘夷か開港か」

・幕府と薩長同盟

・再び海軍奉行となる

・長州再征と将軍の死

・長州との講和談判

・慶喜の裏切りと孝明天皇の死

・イギリス・オランダ人との交渉

・海舟の外交技術

・慶喜の大政奉還

・王政復古の大号令

・鳥羽伏見の戦い

・海舟の努力、水泡に帰す

・慶喜、恭順の意を示す

・江戸城総攻撃へ

・官軍江戸へ迫る

・海舟と西郷、両雄の会談第一日

・江戸城明け渡し

●第四章「維新の風雲」

・海舟の苦心

・江戸城総攻撃に代わる戊辰戦争

・再び東京へ

・海舟の晩年

・海舟と足尾鉱毒事件

・浄土が地獄かで総理にする

●年譜

・あとがきー解説にかえて

・参考文献


【勝麟太郎の雌伏の時】

   勝海舟(1823~1899)は、卓越した幕末・明治の

政治家である。彼の生き方は、ひと言でいうと「柔よく毅を

制す!」生き方ではなかろうか? 飾らず、繕わず、真っ正

面から遠慮会釈なく体当たりする・・・・。


  海舟の号は佐久間象山から頂戴した。幼名は麟太郎、通称

は安房守。御家人30俵二人扶持・小普請組の勝小吉の嫡男

であった。島田見山に剣術を学び、永井青崖に蘭学教授を受

け、佐久間象山に兵学・国防を叩き込まれた。生活の糧を得

ながら、自らの研鑽を兼ねて蘭学塾を開く。若い頃の勝は、

絵に書いたような貧乏に辛抱を重ねた苦労人である。


【咸臨丸指揮と江戸無血開城】

 幕府上役の推挙を得て、長崎の海軍伝習所で航海術を習得

した。努力の甲斐が認められて、安政7年(1860)日米

修好条約の批准書交換のために咸臨丸の艦長として太平洋を

横断し、アメリカ合衆国を見聞した。帰国後、大役を果たし

た功労により、軍艦奉行に抜擢されて神戸海軍操練所をひら

き坂本竜馬や陸奥宗光らを育成した。


  しかし、海軍操練所に倒幕の志士がいたことを咎められて

罷免されるも、長州征伐の際に復職し停戦に導く功を上げる。

慶応4年、鳥羽伏見の戦い後、海舟は陸軍総裁となり、東征

軍参謀の西郷隆盛と会見し,江戸無血開城を実現した。江戸

を火の海にせず、国力を疲弊させず新政府へ移行させたこと

は、列強諸国の植民地化を防いだのは勝の手柄である・・・。


【中道反骨の人・勝海舟】

  御維新後は、新旧両政権の事務の引継ぎの大役を果たした。

明治5年(1872)海軍卿兼参議となる。その後、元老院

議官を務めるがわずか3年間に辞任した。歯に衣着せぬ勝の

物言いは、利権政治に堕落した薩長藩閥政治には受け入れら

れなかった。勝は自らが身を引くのと引き換えに、教え子の

榎本武揚(元幕軍艦奉行府)の獄中から釈放を嘆願し特赦さ

せた。もともと、箱館戦争のみぎり、蝦夷国共和国総裁の榎

本が五稜郭落城の際に「万国公法にも通じ、外国語にも堪能

で稀代の戦略家の榎本を殺すのは惜しい!」と、助命嘆願し

たのも勝であった。ちなみに、榎本は釈放後、蝦夷地の開拓

使として功績をあげ、駐露特命全権公使となり、逓信大臣・

文部大臣・外務大臣まで昇進した。勝の面目躍如だ!


  下野した勝は、徳川家の後見と旧幕臣の生活救済に10年

間も走り回った。明治20年に伯爵となり、翌年、枢密顧問

官となり活発な議論を再開した。勝は大局的判断から、清国

との敵対、朝鮮出兵(征韓論)には反対した。天敵・福沢諭

吉の著書『痩我慢の説』に、勝は舌鋒鋭くの反論している。


  晩年は旧幕府史料を編修し、『開国起原』や『海軍歴史』

『陸軍歴史』や『吹塵録』などのを後世の名著を著述した。

明治21年に枢密顧問官。伯爵。明治32年死去。享年77

歳であった。世の中には、人を育てられる人物とそうでない

者がいるが、勝は、坂本龍馬や陸奥宗光、榎本武揚ら多くの

人材を育てた。その遺志は、榎本に受け継がれ、旧幕臣のみ

ならず悲劇の元会津藩士にも手は差し延べられた。


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