大型図録本 鍋島焼 古鍋島焼 作品集 写真集 解説 日本陶磁全集 カラー71点88図 古伊万里 有田焼 初期鍋島 盛期鍋島
矢部良明 編集
中央公論社
1976年
78ページ
約34x26x2.5cm
函入 ハードカバー
作品図版フルカラー 解説参考図版モノクロ
※絶版
フルカラー大型図録本、鍋島焼 古鍋島 古伊万里 図鑑。函入大型愛蔵版。
古伊万里の中でも、鍋鳥藩の御用窯として独特の作風を誇った鍋島焼は、
上質の原料と厳重な体制のもとに製作され、色絵、染付、青磁等に秘技をつくした、
日本色絵磁器の極致ともいうべき存在。
鍋島焼は本来、将軍や大名諸侯を始めとする貴顕へ献上することがおもな目的であったために、その製品は当然、名称すらも含めてその存在自体が一般の人々に知られることは無かった。後に美的鑑賞の対象として世間に広まるのは幕藩体制が解かれた明治維新以後のことであった。しかも、始めにその十全な美しさを認識しえたのは西欧人であり、イギリスの収集家によって紹介されたもので、現在は世界的に人気の高いやきものとなっている。
本巻では鍋島の尺皿・七寸皿・五寸皿・向付・盃他の気品ある美をフルカラー写真で紹介。
厳選された国内最高峰の優品を網羅して収録。
収録作品の配列は、器形別にあらゆる作品を網羅し、作風の展開のさまがわかるように掲載、
フルカラー写真に加えて、巻末には全作品の寸法、全作品の解説。
作品名については、全作品に英文表記あり。
美術館・博物館所蔵などの銘品から、
めったにお目にかかることのできない個人蔵の銘品優品を多数カラーで写真解説したもの。
本書は大型本のため、各作品の写真も大きく、細部まで見て楽しむことができる、
陶芸家、茶道具、古陶磁、やきものの絵付け、デザイン、骨董品愛好家等に必携の大変貴重な資料本です。
【凡例】
本巻には江戸時代初期から中期(17世紀初期~18世紀)を中心に、鍋島の作品71点、88図を収録した。作品と図版の数え方は、原則として同一作品で異なる角度から見た図版のある場合、これを一点二図とし、一括して名称を付した。
収録作品の配列は、器形別にあらゆる作品を網羅し、作風の展開のさまがわかるようにした。
作品には、原則として図版番号、名称、寸法を付し、英文による名称を添えた。名称の読み方は作品解説においてふりがなをつけた。
所蔵については、公共あるいは私設の博物館、美術館等に属するものは記載し、個人の場合はこれを省略した。
難解と思われる語、術語には、語の下に*をつけ、上欄に注を載せた。
巻末には英文による梗概、および図版目録を併載した。
【目次】
作品
概説 献上物の美 矢部良明
作品解説 矢部良明
やきもの風土記25 角田守男
参考文献
作品目録
英文梗概
英文目録
English Overview
English Catalog,List of Plates
【概説/鍋島 献上物の美 矢部良明 はじめに】 より一部紹介
鍋島焼は、いうまでもなく江戸時代に肥前(佐賀県)を領有していた鍋島藩が、直接に経営した藩の御用窯の製品のことである。世にその美麗さが讃えられている鍋島焼の色絵や染付は、おもに大河内窯(佐賀県伊万里市の大川内山麓に築かれた)で焼造された、木盃形と呼ばれる大小四種類のまるい皿の拡りのなかで展開された。一般に尺皿、七寸皿、五寸皿、三寸皿と呼ばれているものであり、いずれもやや高めの高台が付いた独特の形式をふまえている。壺・瓶子・香炉・花生・徳利といった袋物、動物や建物をかたどった香炉、置物などの彫塑的な細工物も残ってはいるが、その数は僅少といわなければならない。このように大小の差はあるにしろ、器形がきわめて単純画一であるということが鍋島焼自体の性格を決めている基礎であり、ここにまた鍋島藩が作陶に対して示した基本の理念が黙然のうちに語られているとみることもできよう。
俗に白玉肌とも呼ばれるきめ細やかな上質の透明釉の下には、あらかじめ、染付で独自の創意のもとに考案された文様が妙を尽して表され、色絵ものではさらに、釉面に気品の高い釉彩が下絵に添って隙なく的確に充填され、よりいっそう純化された色模様の世界が繰り広げられる。円形という一定のタブローのなかで珠玉のような細密画風をつくり上げた鍋島焼は、きわめて完成度の高い磁器の技術によって裏付けされていたのである。
ところが鍋島焼は本来、将軍や大名諸侯を始めとする貴顕へ献上することがおもな目的であったために、その製品は当然、名称すらも一般の人々の耳目に達するものではなかったようで、これが美的鑑賞の対象として世間に広まるのは幕藩体制が解かれた明治維新以後のことであった。しかも、始めにその十全な美しさを認識しえたのは西欧人であり、最初に著書で紹介したのは新政府の招聘で来朝していたイギリスのキャプテン・ブリンクリー氏であったといわれ、在日英国人のギャスビー氏やロビンソン氏なども有力な収集家として知られている。鍋島焼は、江戸時代から明治時代にかけて陶磁鑑賞界の一世を風靡していた「茶陶」の価値観のなかに入らなかったために、美術的関心のおもな対象からはずされていたのである。(中略) 日本陶磁史のなかでも、とくに飛躍的な発展を遂げた近世陶芸の第一の黄金期を桃山時代の陶器、第二の黄金期を江戸前期の磁器に置くことができるとすれば、江戸期の磁器諸窯のなかでも鍋島焼の置かれた位置づけは、技術的完成度において他に比類なく、また昇華された趣味性においても一頭地を抜いていたとひそかに感じている。明治になって日本の文化が海外に向って開かれたとき、鍋島焼が西欧人の審美眼に強く訴えたのも、その美的カテゴリーが広汎なものであったことのよい証拠である。鍋島焼は、ともすると技巧に走って、心にひびく風韻に乏しいといわれている。確かにこれは一面の事実であるが、私は、その皮相的な華美の裏に、内面に向ってつき進む凄まじいほどに研ぎ澄まされた美意識を看取するのである。(以下略)
【作品解説】矢部良明 より一部紹介 寸法・所蔵先掲載
色絵岩牡丹植木鉢図皿
高さ8.2cm ロ径30.9cm 高台径15.8cm
粟田美術館
近年、世に知られた鍋島最盛期の尺皿の白眉。現存している色絵尺皿のなかで、この皿ほど器形の優れた作行きのものは稀であり、大皿ながら張りのある曲線を描いて立ち上るみごとな形は特筆に価する。大きな花盆(植木鉢)に岩に花卉を植え付けて賞翫する趣味はいかにも中国的であり、稜花にとった鉢は図案化され、まとまりのよい構図を示している。染付が多いために、ひときわ赤い牡丹花が鮮麗に映える。裏文様は薔薇唐草文、高台立上りには七宝繋文を濃淡の染付で表す。
色絵弾琴図三脚皿
尺皿としては浅めの立上りで、張りもあり、古風な格調が備っている。低く幅の広い、いわゆる蛇の目商台に三脚を付けた形式は、尺皿特有である。見込の周囲には大小の如意頭文を交互に重ねて縁取り、そのなかに琴を弾じ、またその音に聞き入る二人の隠士を描写する。有名な伯牙弾琴の故事図であろうか。図の雲文は明の嘉靖・万暦ごろの官窯の青花磁の雲文を連想させるのも注目され、あるいは本歌が中国陶磁にあったのかもしれない。濃淡の染濃を駆使した岩鼓の法は見事であり、松樹の幹に施された樺色の彩釉はきわめて珍しい。裏面には、染付で野薔薇を唐草に仕立てたような細かい文様を全面にめぐらし、露胎になった高台畳付は針積み(焼成時に器と器の互いのくっ付きを防ぐためのもの)の目跡が41個残っている。
色絵宝尽文皿 岡山美術館
この口縁と同じ破片が矢河内藩窯の出土品にみられる。典型的な元禄期(一六八八~一七〇三)の意匠であり、皿の中心を白抜きにする構図法もこの時期に創案されたものと思われる。華頭窓風の枠を六方に配し、菊座状の鐶でつないで、枠のなかには宝尽文を散す。宝尽しも菊座状の輪も伊万里焼型物によくみるものであるが、その関連をうかがわせないほど独創的な意匠に昇華されている。この皿も尺皿の傑作の一つ。裏面には四方に大輪の牡丹花を配して唐草を全面にめぐらし、高台には七宝繋文をめぐらしている。
色絵白蘭図皿
やはり盛期の代表作。蘭は宋・元以米の伝統的な漢画の題材。左右に葉を分ってのびのびと成育した蘭の図様は、水墨画のそれとは異って、いかにも典雅な気分に満ちている。白い花を浮き立たせるために、地を薄い瑠璃染でつぶし、赤で花弁と茎とを緑取った配色もきわめて印象的である。裏面には七宝結文を三方に配し、高台には櫛目文をめぐらしている。
色絵桃文皿 箱根美術館
この作品も薄瑠璃地の代表作。いかにも尺皿らしく色絵鍋島の精緻な技巧が存分に駆使されている。図6と違って、口緑を白く残して内側をくまなく塗溜にし、葉をあしらった大きな桃果を三つ手前にして後ろに桃花樹を描いている。鉄線描をみるような桃花の赤の輪郭線、桃の質感を出すための染付と赤絵の点描や、珊璃染の髦しは卓越した技巧の冴えを示しており、遠近感のある構図取りは鍋鳥焼の意匠考案のうまさを遺憾なく物斛っている。外側には三輪の花をもつ牡丹の折枝文、高台には七宝繋文を染付でめぐらしている。
(ほか)
【執筆者紹介】
矢部良明(やべ・よしあき)
一九四三年(昭和十八年)神奈川県大磯に生れる。
東北大学文学部東洋日本美術史科卒業。現在、東京国立博物館陶磁室員。のち工芸課長を経る。
著書「元の染付」(平凡社)ほか。
監修 谷川徹三
編集委員佐藤雅彦
坪井清足
楢崎彰一
林屋晴三
編者 矢部良明
【作品目録】より一部紹介
色絵岩牡丹植木鉢図皿
尺皿(口径30.9cm)栗田美術館
色絵弾琴図三脚皿
(以下寸法・所蔵先等略)
角絵 宝尽文皿
色絵白蘭図皿
色絵桃文皿
色絵橘文皿
青磁染付水車文皿
色絵輪繋文三脚皿
染付松文三脚皿
染付山水図皿
色絵松竹梅橘文瓶子 重要文化財
色絵蔓薔薇文香炉
染付譲葉文大壺
染付宝尽文大壺
青磁染付銹地桜樹図皿
色絵桜樹図皿
色絵寿字宝尽文八角皿
色絵双鳳文皿
色絵岩牡丹図皿
色絵牡丹唐草文皿
色絵三瓢文皿
青磁染付庸花文皿
色絵桜樹文皿 五客
色絵組紐文皿
宵磁染付波に水車文皿
染付唐人物図皿
染付唐花文皿
色絵花木瓜文皿
色絵酢漿草牡丹丸文皿
色絵唐花文皿
色絵巻軸文皿
色絵石楠花図皿
色絵水葵図皿
色絵蒲公英図皿
色絵野菜尽文皿
染付人参文皿 十客
青磁染付鶴文皿
青磁染付花霞文皿
色絵雪持笹文皿
色絵鉄線文皿
色絵藤袴図皿五客
色絵鶺鴒図皿
色絵水仙文皿
色絵岩蔦図皿 五客
色絵岩笹図皿
色絵譲葉文皿
色絵棕櫚葉文皿 五客
色絵更紗文皿
青磁染付唐花文皿
色絵更紗文皿
佝齢三壺文皿
青磁染付松文皿
色絵桜御所車文皿
色絵桃花文盃
染付雲文向付
色絵薔原文向付
色絵唐花文盃
染付唐花文盃
色絵唐草文向付
色絵唐花文向付
色絵唐花文向付
色絵牡丹文蟹形皿
色絵唐花文四稜花皿
色絵丸文四稜花皿
青磁染付銹絵葦図皿
青磁染付芙蓉丸文皿
染付錺絵梅文皿
色絵桃図皿
青磁染付瓢青海波文皿
染付月兎文皿
青磁牡丹文三脚皿
LIST OF PLATES
Dish with design of peonies, trees and rocks in a pot, underglaze blue, overglaze enamels. D. 30.9cm Kurita Art Museum.
Three-legged dish with design of man playing koto (musical instrument), underglaze blue, overglaze enamels. D. 28.4cm.
Dish with “various treasures" design, underglaze blue, overglaze enamels. D. 30.0cm. Okayama Art Museum.
Dish with white orchid design, underglaze blue, overglaze enamels. D. 30.8cm.
Dish with peach design, underglaze blue, overgiaze enamels.D. 31.7cm. Hakone Art Museum.
Dish with mandarin orange design, underglaze blue, overglaze enamels. D. 29.7cm. Hakone Art Museum.
Dish with design of water wheels and seigaiha (conventionalized overlapping waves), blue and white, partial celadon glaze. D. 30.4cm.
Three-legged dish with design of circles linked by Quatrefoils,underglaze blue, overglaze enamels. D. 26. 0cm.
Three-legged dish with pine tree design, blue and white.D. 29.6cm.
Dish with landscape design, blue and white.D. 30.7cm.
Vase with pine, bamboo, plum and mandarin orange design,underglaze blue, overglaze enamels. H. 30. 6cm. Registered as Important Cultural Property.
Three-legged incense burner with climbing rose design, underglaze blue, overglaze enamels. H. 10.8cm.
(Omitted below)
NIPPON TOJI ZENSHU 25
A Pageant of Japanese Ceramics
NABESHIMA WARE
by Yoshiaki Yabe
translated by Hiroko Nishida
The term Nabeshima ware is usually applied to the products of the Nabeshima fief kiln. The kiln was located in Okochi, 5 kilometres to the north of Arita in Kyushu, the southern island of Japan. Nabeshima ware was made for the Nabeshima family, the feudal lord of Hizen province, mainly for presentation to the ruling Shogun and feudal lords of the Edo period. The most appreciated pieces were enamelled dining utensils, especially dishes with an elegant curved surface and a large high foot. Since the sale of these ware was strictly prohibited, before the Meiji restoration(1868) Nabeshima ware was scarecely known in Japan. In the Meiji era Nabeshima ware was not appreciated by Japanese collectors, whose standard of beauty was based on the tradition of tea ceremony utensils. It was Captain Brinkley, an English man, who recognized of the value of Nabeshima ware and introduced it to the world of art for the first time.
Nabeshima ware gradually emerged from its position of obscurity and is now highly prized in Japan.
NABESHIMA FIEF AND ITS PORCELAIN INDUSTRY
The Nabeshima fief is also famous for another porcelain product called Imari ware (Vol. 23). It is generally said that the technique of making porcelain was introduced to Japan by the Korean potter Li-Sampei who found porcelain clay at Izumiyama in Arita and began to make blue-and-white porcelain at Kamishirakawa-Tengudani in 1616. Recently the date has been modified to around 1600 as a result of scientific excavation of the Tengudani kiln. The enamelling technique was successfully perfected by the potter Sakaida Kakiemon around 1646.
(Omitted below)