今ほとんど出ないですが、木製洗濯板を在庫しているので出品します。
サイズ 大 約54cm×23cm
厚み 約13mm 重さ 約1.3kg
材質 ブナ
日本製
私の父は、もともとサラリーマンで、名家と言われている家の一人娘に婿入りし、その本家に勤めるようになりましたが、入ってみると本家のいいように利用されているだけの内実で、それに逆らって本家の怒りに触れ離縁されました。
実家に身を寄せながら、就職先を探し、官庁の採用試験に受かったのですが、離婚先に身元調査が行ってしまう運の悪さで不採用になりました。
姉が深谷に嫁いでいて、その縁で3坪ほどの店を借り、ズブの素人でしたが昭和24年36歳で金物屋を始めました。
その頃は終戦後の物がない時代でしたので、何とかやれたようです。
実家から深谷まで約20キロを朝晩自転車で通ったそうです。
途中大きな川があり、橋のたもとで「俺はこれからどうなってしまうんだろう・・・・」と思ったと小さい私によく話していました。
それから地元の母と結婚して母の実家に身を寄せて二人で商売に努めました。
父はいわゆる名門大学出身なのですが、小さな金物屋になったのを恥じて自分からは決して言いませんでした。
父の実家は子沢山の農家で大学に行かせる余裕はなかったのですが、勉強が大好きで奨学金をもらい進学できたのです。
ですから婿入りした時はみんな喜び、父の母だけは「あんなズバズバ言うきつい子に婿は務まらない」と言いましたが、旧制中学の同級生も○○君、○○君とチヤホヤしたそうです。
しかし離縁されると、道であっても顔をそむけるようになり「人間てこんなに冷たいんだ」と思ったそうです。
理詰めで何でも考える人なので商売は下手で、母がお客さんの相手をしてました。その代り掃除や洗濯を母の代わりに良くしていました。
私たちのおしめも、父が夜遅く盥に洗濯板で洗ってくれたそうです。
「だからお父さんの手はいつもあかぎれがひどかったんだよ」と母が話していました。
裸電球の下で盥に洗濯板でゴシゴシ洗っている父を思うと、胸が熱くなります。
こちらも出品しています。