【はじめに】
密教図像の美しさは、黒白の鮮明な対照のなかに、仏世界の厳然とした規範を表現しているところにあろう。仏体を造るにも描くにも、正確な儀軌をふまえた構図が必要であるが、それより仏に祈り菩薩を念ずる者からも、むしろ色彩という雑念を除いた真髄が要請されたかも知れない。その意味で図像からうける印象は、きびしくはげしいものがある。却って淡彩が施されていたり黄地の油紙に描かれたものに接すると、一種の息抜きの思いのすることもある。
図像は平安時代のはじめ、入唐した空海が真言秘蔵の経疏を正確かつ平易に伝えようとして、積極的に請来してから、伝法に不可欠のものとして東密のみならず台密の円仁・円珍をはじめ、入宋の成尋などによって陸続として請来され、国内にもひろく伝播して行ったのである。そのうちには、日本の絵画史の上にも多大の影響を与えたものが多かったと考えられている。
当博物館においては、美術室において折節に仏画の特別陳列を企画し、一般はもとより専門研究者の関心に応えてきたが、今回はその原点ともいうべき密教図像について可能なかぎりの類例を収集し整理して、特別陳列「密教図像」を企画することとなった。
あたかも当館創立九十周年に当り、各分野において研究成果の発表と普及をはかろうとしている際であり、その一環としても、欣快にたえないところである。
前々年の特別陳列「十二天画像の名作」、前年の「涅槃図の名作」につづく企画として、当館における仏教美術の研究に大きな基礎を築くものとなるであろう。それとともにひろく皆様のご清鑑を得たいと思う。本陳列のため貴重な文化財をご出品いたゞいた所有者の方々、ならびに担当者中野玄三美術室長のご尽力に、深く敬意を表する次第である。
昭和五十四年八月
京都国立博物館長
林屋辰三郎
【凡例】
一、この目録は、京都国立博物館において、昭和五十四年八月一日より同年九月二日まで開催する特別陳列「密教図像」の解脱付総目録として、社団法人清風会の援助を受けて作成した。
二、この目録の番号は陳列の順序とは必ずしも一致しないが、列品番号とは共通している。
三、文中に引用した作品中、○印内に番号を付したものは、陳列品であることをあらわし、その番号は図版解脱の番号と一致している。
四、図版解説に用いた記号のうち、○は重要文化財、幅は掛幅装、巻は巻子装、幀は額装、帖は粘葉装、紙は無表装、数字は法量(センチメートル)をあらわし、法量は、縦×横(全長)として表示した。個人蔵の作品には所蔵者名を除いてある。
五、会期中に陳列替を行なうこともある。
六、この目録の執筆は本館美術室長中野玄三、編集は中野室長と大石一十三、写真撮影は本館資料室員金井杜男、英文翻訳は臼井祥子が担当した。
七、この目録の作成にあたり、文化庁美術工芸誄調査官有賀祥隆、福井県立美術館八百山登両氏のご協力を得た。ここに深く感謝の意を表する。
【図版解説】一部紹介
○高雄曼荼羅図像 六巻のうち胎蔵界巻四 一巻 奈良 長谷寺
紙本白描 三〇・六×九三二・〇
平安時代後期
神護寺伝来の淳和天皇御願と称せられる高雄曼荼羅は、紫綾地に金銀泥で密教諸尊を描いた両界曼荼羅で、空海が唐に留学中師の恵果から伝えられた形式に従って描かれている。この形式は東寺で歴代描き継がれてきた現図曼荼羅とほぼ等しく、東密(莫言宗の密教)はもちろん、のちには台密(天台宗の密教)まで多くこれに従うほど、日本の両界曼荼羅の基本になった。この白描図像は、高雄曼荼羅にあらわれる密教諸尊を、胎蔵界六巻、金剛界二巻、合計八巻の巻物にまとめた図巻であるが、現在胎蔵界の巻二と巻六が欠けている。醍醐寺座主で東寺の長者でもあった勝賢(信西の子、一二二八~九六)の所持本で、勝賢がこの本を制作した平安時代末期は、高雄曼荼羅にとって、実に多難な時代であった。すなわち、鳥羽天皇のとき、何かの事情で多くの宝物とともに寺外に流出し、まず、仁和寺に移され、次いで後白河法皇の法住寺御所の御堂蓮華王院の宝蔵を経て、寿永年中(一一八二-五)高野山に運ばれてしまった。これが文覚上人の尽力でふたたび神護寺に戻ったのは、元暦元年(一一八四)のことである。勝賢は応保二年(一二六二)四月から寿永元年(一一八二)十月まで高野山に隠遁していたから、あるいはこの図像も高雄曼荼羅が高野山にあったころ写したのかもしれない。謹厳な鉄線描で正確に描かれた図像で、現在甚しいいたみのため、尊容のよくわからない尊像が多い高雄曼荼羅の図様を確
かめるうえで、重要な資料となる。
(金剛界巻第二奥書)
先師前権僧正持本也
伝領 東寺末葉成賢
(胎蔵界巻第四奥書)
金剛資勝賢
両遍校了
叡山本両界曼荼羅図像 三巻・一紙 京都 醍醐寺
金剛界 紙本白描 二八・六×四四七・四
胎蔵界1 紙本白描 二八・九×九一八・五
胎蔵界2 紙本白描 二八・九×九四五・七
断簡 紙本白描 二九・〇×五六・〇
鎌倉時代
胎蔵界曼荼羅二巻、金剛界曼荼羅一巻と断簡一紙よりなる図巻で、上に形像を描き、下に尊名と簡単な注を付している。胎蔵界諸尊は東密の現図曼荼羅とほとんど変らないが、金剛界諸尊は主要な三十七尊が鳥獣座に乗っている。東密の金剛界曼荼羅は画面を九等分し、それぞれに曼荼羅を描く九会曼荼羅であるが、台密の場合は、九会曼荼羅を用いるだけでなく、九会曼荼羅の中心にある成身会の八十一尊のみを大きく描いた円仁請来の金剛界八十一尊曼荼羅を用いる場合がある。この図巻で主要な三十七尊が鳥獣座に乗っているのは、八十一尊曼荼羅であることを示している。胎蔵界巻上の奥書によると、この本は永暦元年(一一六〇)に重玄が密教院の本を油紙を用いて写したと書いてあるが、鎌倉(以下略)
【掲載作品一部紹介 一部順不同】
高雄曼荼羅図像 長谷寺
叡山本 両界曼荼羅図像 醍醐寺
胎蔵界
胎蔵界三昧耶曼荼羅図像 醍醐寺
叡山本 両界曼荼羅図像 醍醐寺
金剛界
胎蔵界奧付
皷音声如来像等
胎蔵図像 巻上 円尋筆 奈良国立博物館
不動明王像等
金剛界曼荼羅三昧耶会図像
金胎仏画帖
香像菩薩像 無量光菩薩像 大日如来像
中間部分 毘沙門天像
四種護摩本尊及眷属図像 宗実筆 醍醐寺
巻末部分
中間部分
蘇悉地儀軌契印図像 東寺
巻末部分
巻首部分
大悲心陀羅尼并四十ニ臂図像
中間部分
仁王経法本尊図像 醍醐寺
後扉右 金剛手像 正面扉左 観音像 正面扉右 文殊像
諸菩薩図像 醍醐寺
右扉西 弥勒像
右扉東 除蓋障像
後扉左 普賢像
諸菩薩図像 醍醐寺
地蔵菩薩図像
左扉西 地蔵像
左扉東 虚空蔵像
普賢延命図像
隨求菩薩図像
孔雀明王図像 醍醐寺
仁和寺密教図像 仁和寺
迅速金剛童子像
唐本曼荼羅図
毘沙門天像
一切念誦行事勾当像
唐本蜜菩薩像
地蔵曼荼羅図
仁和寺密教図像 仁和寺
宝樓閣曼荼羅図像
唐本蜜菩薩像
地蔵曼荼羅図
仁和寺密教図像 仁和寺
宝樓閣曼荼羅図像
金剛童子図像
六臂像
二臂像
三井寺本六臂像
三井寺本二臂像
金剛童子図像 信海筆 醍醐寺
十二神将図像 仁和寺
巻末部分 中間部分
十二神将図像 醍醐寺
四天王図像 仁和寺
十二神将 図像 酉神
毘沙門天図像 信海筆 醍醐寺
深沙大将 図像
十天形像 醍醐寺
大日経十二火神図像 賢宝筆
羅刹天図像 珍海様
襄虞利毒女図像 醍醐寺
訶梨帝母図像 醍醐寺
善女竜王図像 醍醐寺
北斗曼荼羅図像 仁和寺
九曜星等図像 醍醐寺
梵天火羅図像 玄証筆 高山寺
火羅図像 東寺
高僧図像 仁和寺
高僧図像 高山寺
達磨宗六祖師図像 高山寺
八大明王図像 醍醐寺
鳥枢瑟摩明王図像
仏眼等図像 醍醐寺
大仏頂曼荼羅図
諸尊図像 醍醐寺
聖天像
馬頭等図像 醍醐寺
六字経曼荼羅図
祈雨法等図像 醍醐寺
薬師像
十巻抄 醍醐寺
大仏項曼荼羅図(巻2)
阿麼堤観音(巻7)
別尊雑記 仁和寺
大威徳明王
覚褝抄 勧修寺
深沙神法
弥勒法
阿娑縛抄 曼殊院
法華法
不動明王図像 長賀筆 醍醐寺
不動明王図像 円心様 醍醐寺
不動明王図像 鳥羽僧正様 醍醐寺
不動明王図像 醍醐寺
不動明王図像 良秀様 醍醐寺
無動三尊図像 石山寺
不動三尊図像 玄朝様 石山寺
不動明王図像 深賢筆 醍醐寺
不動明王図像 信海筆 醍醐寺