平成23年(2011)に、歴研から出版された『歴史
研究」9月号で特集は奥州白河の謎である。
【戦略拠点白河の地】
「白河以北一山百文」という言葉がある。
これは「奥州白河の関所より北の土地は、一山で百文に
しかならない荒れ地ばかりで糞の役にも立たない」という
薩長率いる官軍(新政府軍)が、戊辰戦争の折りに奥羽諸
藩を侮蔑した言葉だ。
だが白河は、板東平野の北端にして、奥羽陸奥山間部の
入口にある、古来よりの戦略重要拠点であった。幕末は戊
辰戦争のみぎりは、北上する官軍への防衛ラインとして、
長岡城・白河城・会津鶴ヶ城の連携に機能した。白河城・
二本松藩、そして会津藩は善戦するも、奥羽列藩同盟の団
結は分断されて、この牙城もあえなく落城した。
時は流れて、大正デモクラシーの世も、政界では薩長藩
閥政治の名残りが強い中で、平民宰相・原敬(旧盛岡藩出
身)は「我が号は〝一山〟なり!」と、胸を張って言い放
った。今日、東北全県を網羅する大新聞社「河北新報」の
〝河北〟の題号は「薩長藩閥何するものぞ。わが新聞は川
北の東北を網羅する新聞なり」と、矜持を持って社名にし
たという。歴史的にも、重要な地には、牙城をめぐる名将
領主たちの誇りある興亡の歴史が刻まれている。
【目次】
●「奥州白河の基礎知識」 (松尾 光)
●「奥州白河の謎」 (佐藤和夫)
●「徳川幕府にとって奥州白河の位置づけ」 (富田誠一)
●「攻防白河城」 (吉岡健二)
●「貞観地震と奥州白河」 (高橋慶伍)
●「佐竹の傀儡に甘んじた不説斉」 (毛矢一裕)
●「白河結城氏と三河渥美半島」(加藤克己)
●「奥州白河結城氏の興亡」(竹村紘一)
上記の特集記事以外にも、下記の興味深い記事も所収されている。
●「〝くどき〟に観る庶民感覚」(奥田 豊)
●「酒飲み番付できる」(石川道子)
●「邪馬台国女王国の終末に関する考察」(小原正哉)
●「金魚の里の城下町・大和郡山」(高橋倭子)、他。
【本の状態と発送について】
本の状態は、大切に保管していた「美本」である。保存
状態もすこぶる良い。発送は、ゆうパケットかネコポス
を予定しております。