特集 神仏と生きる/神像 神仏習合 古美術・骨董案内 原則非公開の仏像神像懸仏 金工 仏像彫刻 仏教美術 垂迹美術
2011年9月
里文出版
152ページ
約21x15x1cm
※絶版
目の眼創刊35周年記念特別号。
神仏習合の形態が残り、信仰と生活が一体となった暮らしが今も続く岐阜県の高賀山信仰。
奥美濃・高賀山・千年続く神仏習合のくらしと、氏子といえども原則非公開の仏像神像、懸仏などを特別取材、美しい写真でその魅力を紹介する珍しい特集号。
学術調査以外の美術雑誌でこれだけ大きく紹介されたのは初めてのもの。
特集約30ページ。
高賀六社のうち那比新宮神社と星宮神社を訪ね、平安時代、あるいはそれ以前から戦乱や政変を乗り越えて守られてきた神仏たちと、揺るがない信仰心をもつ氏子の方々に取材。
(那比新宮神社…神体が仏像であることや、平安時代 ~ 鎌倉時代の懸仏が大量にあるなど、廃仏毀釈以前の神仏習合の形が残っている。)
高賀山信仰についての書籍はほとんど無く、大変貴重な資料本です。
【目次】より一部紹介
特集1 神仏と生きる
奥美濃・高賀山 千年続く神仏習合のくらし
奥美濃高賀山の神と仏 清水眞澄 三井記念美術館館長
特集2 神像 カミが宿るかたち 編集部
話題の人 巻頭インタビュー 村松友視
連載
愉しみの骨董 豊島愛子
物に執して 鈴木皓詞
撤饌 かみさまのおすそわけ 富士山本宮浅間大礼 平松温子
楝方志功の眼 胸中花 石井頼子
装剣小道具の世界 長州鐔の龍 善財一
作家訪問 陶芸家 藤平寧
日本刀五ヶ伝の旅 山城物の作風とその展開 粟田囗派 田町辺道宏
ささやかな日常感党から見た古美術 山中理
根付の意匠 海女 吉田ゆか里
コレクター訪問 編集部
ほか
[高賀山信仰とは]神仏と生きる より一部紹介
高賀山は岐阜県の関市と郡上市の間にある山で、瓢ヶ岳、今淵ヶ岳とともに山脈を成し、この三峰は古くから霊山として崇められていた。やがてその山を取り巻くように六つの社(高賀神社・那比新宮神社・本宮神社・星宮神社・滝神社・金峰神社)が祀られ、地元の人々によって独自の信仰形態が育まれていった。その成り立ちはよくわかっていないが、古伝によると平安時代(年代は各社微妙に異なる)この地に妖怪(神社によっては鬼、悪霊、光とも)が現れ人々を苦しめたので、時の朝廷から勅命を受けた中納言藤原高光が下向し退治したという伝説があり、その際に峰を取り巻く六社が創建されたという。以降、古来からの山岳信仰に加え各地の修験道や密教などが混じり合い、平安末期には仏教道場として栄え、また鎌倉時代以降は虚空蔵菩薩を本地仏とした神仏習合のスタイルが成立して現代まで続いている。明治の神仏分離、廃仏毀釈を乗り越えていまも昔ながらの信仰を守っていることはたいへん珍しく貴重。またこの六社には多数の懸仏や彫刻群が伝わっているが、すべて信仰の対象であり、原則非公開となっている。(以下略)
[神像]より一部紹介
原初、日本の神は姿や形にとらわれない自然そのものだったが、やがて将来された仏像の影響を受け木彫や金銅の神像も作られはじめたといわれる。ただ最初から姿形が細かく規定された仏像と違い、神像は大らかな造形で時代や地域、氏族によってさまざまなスタイルに作られた。一つには、神はあくまで自然界あるいは遠い神の世界に住まうもので、人の作った依代や社に滞在するのは、神事などほんの一時の期間だけであったからだという。だが、次第に神も社や神殿に引き寄せられ、リアルな造形の神像も作られるようになっていく。それだけ神像には造像に携わった人々の思いや、神に対するイメージが直截的に反映されてゆき、それが神像独特の存在感を生んでいる。(以下略)
【掲載作品一部紹介】
那比新宮神社
虚空蔵菩薩懸仏 鎌倉時代
地蔵菩薩懸仏 鎌倉時代
千手観音懸仏 南北朝時代
虚空蔵菩薩懸仏 南北朝~室町時代
阿弥陀如来鏡像 鎌倉時代
鏡像 鎌倉時代
鏡像 鎌倉時代
銅像地蔵菩薩坐像 南北朝時代
木造神馬
木造僧形立像 平安時代
木造菩薩立像 平安時代
木造如来立像 平安時代
木造天部形立像 桃山時代
女神像
神像
伎楽面
ほか
星宮神社
木造虚空蔵菩薩立像 平安時代後期
木造聖観音立像 平安時代後期
金銅虚空蔵菩薩懸仏 南北朝時代
金銅十一面観音菩薩懸仏 鎌倉時代
金銅聖観音菩薩懸仏 鎌倉時代
金銅薬師如来懸仏 室町時代
神像 カミが宿るかたち
男神像 女神像 平安時代
金銅男神像女神像一対
女神像 鎌倉時代
男神像 平安時代
男神像 平安時代
僧形八幡像 平安時代
僧形男神像 平安時代
狛犬 平安時代
神鹿 室町時代