図録本 蒼海 副島種臣 全心の書 展 没後100年記念 掛軸 印譜 署名
2006年
佐賀県立美術館
29.5x22.7x2cm
165ページ
図版 約140点
フルカラー
※絶版
副島種臣の代表作、新発見および再発見の作品をはじめ、副島種臣の書作品を網羅、その全貌を紹介する大回顧展。
一行書、二行書、三行書、四行書、五行書、紙本、絹本、扁額、書幅など約140点のほか、
署名の変遷では署名80点、印譜では21点もの落款印を収録した、大変貴重な資料となる図録本。
<主な目次>
図版
資料
寄稿 焦燥・挫折・逆転 副島種臣の「超書」の世界を覗く 石川九楊
副島種臣と枝吉神陽 島善高
一字一珠 副島種臣における清国漫遊中の「書」の概念、そして山岡鉄舟との接点をめぐって 草森紳一
関係系図
略年譜
署名の変遷 制作年代が明記された作品、特定が可能な作品の記名部分を抽出して年代別に編成。
印譜(カラー)
出品作品一覧
作品名・形状・釈文・寸法・材質、制作年・所蔵掲載
【序文より】
幕末の佐賀藩に生まれ、明治新政府の中枢で活躍した副島種臣(一八二八~一九〇五)は、和・漢・洋にわたる広い学識をそなえ、漢詩人、書家としても高く評価されています。
その種臣が死去した明治三十八年(一九〇五)一月三十一日(実際は三十日)から百年が経過しました。
これを機会に副島種臣の書の全貌を紹介する大回顧展を開催いたします。
明治六年の政変により西郷隆盛や江藤新平らとともに下野した四十六歳のころから、種臣の書作は本格化します。重厚な筆致と独創的な造形によって、在世時より多くの政治家や知識人、芸術家たちに深い感銘をあたえたその書は、現在においてより一層の注目を集めています。
本展のテーマ「全心の書」は、副島種臣が習字をしていた使用人に語ったというエピソードによっています。種臣は、字の形を整えようなどとは考えずに、一画一画に「全心」をこめて、できるだけ遅く書くことを続けていれば、曲っていても筋の通った字ができる、と述べたといいます。種臣の書の一面を象徴する逸話といえるでしょう。
種臣の代表作、新発見および再発見の作品を網羅した当展覧会を、是非ともご鑑賞ください。
【チラシより】
副島種臣は、弘道館教授枝吉南濠の子として現在の佐賀城下鬼丸町で生まれました。兄は著名な国学者として知られる枝吉神陽。種臣は弘道館で学び、また長崎致遠館で舎長として学生を教える傍ら、アメリカ人教師フルベッキから国際法などを学びました。
海外の法律の知識を持つ種臣は、明治政府の樹立に参画し、清国人苦力(クーリー)解放にかかる国際裁判、樺太国境問題にかかる交渉、日清修好条規批准など、外務卿として大きな功績を残しました。
今年は副島種臣の没後100年にあたり、本展覧会では、京都・長崎に留学していた頃の青年期の種臣から、明治天皇の一等侍講として活躍した頃、さらには彼の死亡時までの関係資料を展示し、彼の外交官としての功績や彼の人物像を紹介いたします。
【凡例より】
『本図録は「没後一〇〇年記念 蒼海副島種臣-全心の書-展」(会期:二〇〇六年一月一日~二十九日 会場 佐賀県立美術館)の展覧会図録である。
一、作品130点については、制作年代の不詳のものは推定により、おおむね年代順に収録した。なお。編集の都合上やむをえず収録順が前後したものもある。
一、基本的に、図版には各々の、作品番号/作品名・形状/釈文/寸法(縦×横㎝)・材質・制作年/所蔵(個人等は略)を付した。「蒼海全集」(一九一七年刊)に収録された種臣の作詩については、「全集」と補記し、その巻数を記した。
一、釈文は島根大学教授・福田哲之、佐賀県立美術館・福井尚寿が担当した。釈読にあたっては、石川九楊編・『蒼海 副島種臣書』(二玄社、二〇〇三年刊)をはじめとする先行の釈文や見解を参考にした。
一、釈文の表記は、原則として新漢字を用い、釈読の困難な文字は[□]で示した。
一、副島種臣関係系図、副島種臣略年譜、署名の変遷、印譜については、佐賀県立美術館・福井尚寿が作成した、