江戸中期前半、伊万里は当時の高級品でした。
殆どの日本人が伊万里の存在さえ知らなかった時代です。
(当時器は木製、漆器、陶器が主流、一握りの富裕層のみ使用)
後の時代の伊万里とはかなり違います。
1750年前後、伊万里の国外輸出が終了します。
江戸中期後半、国内に販路を広げる為、伊万里では価格の多様
化が始まり、大量生産の時代に向かいます。
江戸後期の伊万里について知っておきたい事
江戸幕府体制に陰りが現れ国が徐々に騒がしくなります。
日本初の磁器生産を果たした伊万里の里、
有田周辺では、文政期に、主な窯場が台風の大火におおわれ、
大きな被害を受けました。
伊万里陶工たちの一部は諸藩に散らばりました。
技術の流失です。その後磁器生産が各地で始まります。
文政期の大火事で有田皿山周辺は焼け野原となりました。
佐賀藩は、窮乏から生まれた近代化への改革を始め復興を遂げ
ます。藩の援助もあり、伊万里も復興を果たしました。
輸出の再開が始まり販路が広がります。
藩に残った熟練工たちの技術を生かし、上手伊万里が多く生産
されました。幕末期の銘品は意外に多いです。
九州陶磁文化館の柴田コレクション にも、追加寄贈された銘品
が多くあります。
最盛期伊万里の技術が、後世に受け継がれた確かな証とし、柴田
氏から多数寄贈されました。