海外の美術館博物館等の協力を得て、収載作品は日本国内のものにとどまらない質・量ともに内容充実したもの。
カラー口絵作品のほか本文はモノクロですが、最大級・特大サイズの大型本のため、画集・作品集として細部まで見やすい図版。
当時最高峰の専門家達による論考も含めて読みごたえのある、掛軸、仏教美術、密教絵画、密教美術、掛物、中国古美術、骨董品など愛好家必携の貴重な大型資料本。
【目次】より
白描画から水墨画への展開 中国の場合 米澤嘉圃
日本における墨画発達史の概観 田中一松
図版解説
米澤嘉圃
阿部弘
関口正之
真保亨
原色図版
禽獣雲気文
女史箴図巻(部分)
牢度叉闘聖変
五牛図巻(部分)
雲中麒麟図(部分)
鳳凰図
童子奏楽図
山岳図
金銀絵山水図
山岳走虎図(部分)
孔雀図
東大寺山堺四至図(部分)
高雄曼荼羅図(部分)
五部心観(部分)
金胎仏画帖(部分)
孔雀明王図
不動明王図 信海
楊柳観音図
紺紙金銀泥金光明経
紺紙金銀泥大般若経
華厳宗祖師絵伝(部分)
明恵上人像(部分)成忍
随身庭騎絵巻(部分)
公家列影図(部分)
一遍聖絵(部分)
単色図版
女子図
男子図
禽獣雲気文(部分)
闘獣・風俗図
演戯を見る人物図
西王母図
神人交会図
門下諸吏図
竹林七賢図
嘉峪関六号墓画
屯墾図
牧畜図
肉の串焼き図
ラクダをひく図
隨求陀羅尼神呪経図巻
紅衣舞女図
侍女図
女子図(部分)
男子図(部分)
狩猟出行図(部分)
賓客図
観鳥捕蝉図
団扇をもつ官女図
官女図
維摩図(部分)
仏弟子図(部分)
金剛力士図
牢度叉闘聖変(部分)
仏伝図
仏伝図
五牛図巻
五牛図巻
十王図巻
墨絵菩薩図
鴛鴦図
樹下人物図
花鳥図
山岳走獣図
樹下美人図
騎象奏楽図
墨絵山水図
東大寺開田地図
東大寺山堺四至図
梵天像・同模写
蘇悉地儀軌契印図(部分)
子島曼荼羅図(部分)
金剛界曼荼羅図(部分)
仁王経五方諸尊図
大元帥明王曼荼羅図
不動明王・二童子図(部分)玄朝様
不動明王図(部分)円尋様
不動明王図 鳥羽僧正様
不動明王図 良秀様
聖天図 珍海
金剛吼菩薩図 為広
不動明王図 長賀
不動明王図 信海
五大尊図像
別尊雑記(部分)
弘法大師・慈覚大師像(部分) 頤祐
北斗曼荼羅図
梵天火星九曜図(部分)
善女龍王図 深賢
高雄曼荼羅図(部分)
薬師十二神将図像(部分)
勝覚・賢覚像(部分)
出山釈迦図
白衣観音図
鳳凰堂扉押縁下絵
信貴山縁起(部分)
伴大納言絵
鳥獣人物戯画(部分)
法華経冊子下絵
目無経(部分)
北野天神縁起(部分)
北野本地絵(部分)
伊勢物語梵字経下絵(部分)
源氏物語絵(部分)
源氏物語絵(部分)
隆房卿艶詞絵(部分)
豊明草子絵(部分)
枕草子絵(部分)
尹大納言絵(部分)
善教房絵(部分)
一遍聖絵(部分)
遊行上人絵
釈教三十六歌仙絵(部分)
参考図版
(中国)
軟侯夫人図 宴飲図 孝子伝図 徒卒図 楽舞百戯図 婆藪仙図 繧繝華文 説法仏菩薩図 野猪親子図 虎豹図 仏伝図 蚕種伝説画 龍女成仏図 天使図 仏画断片 貴人図 景教聖者図 西方浄土変相図 舞楽図 男子頭部 老人図 契印図 法隆寺落書 五牛図巻(印・落款) 聖徳太子像 報恩経変相外縁図 幻城喩品図 日想観図 二祖調心図 瓦馬図巻 李白吟行図 鶴図 漁村夕照図 山市晴嵐図 寒山拾得図 双松平遠図
(日本)
画中障屏画
資料
参考文献
図版目録 英訳 江上綏
水墨美術年譜 吉澤忠編
【例言】
例言
一、本全集は、日本と中国の水墨画の集大成である。
一、第一巻「白描画から水墨画への展開」はとくに本全集の序論として、日本と中国それぞれの墨画の原流について概観した。
一、墨画淡彩は、水墨画と深い関係をもつ意味合いから、それを取上げることにした。
一、部分図を掲載したものについては、挿図あるいは参考図版にその全図を提示することに努めた。
一、画題の名称には、編集執筆者が選定、命名したものもある。
一、所蔵者の氏名表示は、国、博物館、美術館、社寺、学校等の公共的機関のほか、国宝、重要文化財等の指定品の所蔵者にとどめた。
一、図版目録に画題、作者、員数、材質、法量及び指定関係の資料を掲げ、英訳を添えた。
一、当用漢字以外の漢字、および音訓表以外の読みを使用したものもある。
一、襖・屏風・掛幅の左右は、本巻では作品に向っての左右を示す。
●監修者
田中一松
米澤嘉圃
●編集委員(五十音順)
飯島勇(山種美術館副館長)
岡田譲(東京国立近代美術館館長)
川上涇(東京国立文化財研究所)
河北倫明(京都国立近代美術館館長)
倉田文作(文化庁文化財監査官)
蔵田蔵(奈良国立博物館館長)
小松茂美(東京国立博物館美術課長)
鈴木敬(東京大学教授)
鈴木進(美術史家)
田中一松(文化庁文化財保護審議会委員)
武田恒夫(大阪大学教授)
千澤禎治(美術史家)
土居次義(京都工芸繊維大学名誉教授)
中村溪男(東京国立博物館)
藤田国雄(東京国立博物館学芸部長)
松下隆章(京都国立博物館館長)
山根有三(東京大学教授)
吉澤忠(東京芸術大学教授)
米澤嘉圃(東京大学名誉教授)
●本巻協力著名(五十音順 敬称略)
赤松健伊
上野淳一
永青文庫
大倉文化財団
大原美術館
園城寺
角川書店
歓喜光寺
北野天満宮
北村謹次郎
教王護国寺
京都国立博物館
宮内庁正倉院事務所
子島寺
古曾志文吉
壷中居
高山寺
国華社
サントリー美術館
酒井忠博
シアトル美術館
至文堂
常称寺
神護寺
大英博物館
醍醐寺
大長壽院
大東急記念文庫
中尊寺
朝護孫子寺
東京芸術大学
東京国立博物館
東京国立文化財研究所
東京大学東洋文化研究所
徳川黎明会
奈良国立博物館
ニューデリー国立博物館
日本中国文化交流協会
仁和寺
長谷寺
パリ国立図書館
平等院
普賢院
文化庁
ボストン美術館
法隆寺
前田育徳会
松永記念館
武蔵野美術大学
大和文華館
【作品解説】より一部紹介
高雄曼荼羅図(二幅 部分 金剛界理趣会)
神護寺 国宝 赤紫綾地金銀泥絵
京都市郊外の高雄山にある神護寺に所蔵される両界曼荼羅(高雄曼荼羅)は、神護寺に建立された灌頂堂のため天長年間に淳和天皇の御願として空海が描かせたもので、製作年代は神護寺が空海に与えられた天長六年以後の天長年間(八二九-八三三)と推定されている現存最古の両界曼荼羅である。諸尊の像容は、大型の花鳥丸文を織出した赤紫色の綾絹の画絹の上に金泥と銀泥を巧みに使い分けて表わされるが、瓔珞・条帛・光背外縁等に用いられる銀泥は黒変していて明瞭ではないのが惜しまれる。像身や蓮弁に見られる鉄線描風の、気宇大きく力強さを潜めた輪郭線、衣文線や文様帯の蔓草文、或は光背の火焔等に用いられた、伸びのびとして鋭く爽快な細い線。こうした描線が表わす張りのある引緊った体躯と躍動感のある姿態には、唐画の趣致と格調の高さがうかがえる。これは高雄曼荼羅が空海が唐から持帰った彩色の両界曼荼羅か、或は弘仁十二年(ハニー)にそれを写した第一伝本の両界曼荼羅を直接手本としていることによるものであり、院会や尊像の大きさが唐尺によって構成されていることもそれを裏づけるものである。
本図は金剛界曼荼羅の向って左上隅に位置する理趣会の全容である。確乎たる像容のこのような尊像表現は以後の日本絵画史の上には現われなかった。なお、高雄曼荼羅は、空海請来の根本曼荼羅の姿を忠実に伝える現存最古の曼荼羅として真言宗の学僧の間で尊ばれ、仏教図像学が最盛期を迎える平安後期から白描の写本が幾つか作られた。その中の著名な一つが長谷寺本高雄曼荼羅図像(図版108・109)である。(関口正之)
五部心観(一巻部分)
園城寺 国宝 紙本墨画
「五部心観」は精しくは多僧蘗羅五部心観と言い善無畏三蔵の作である。奥書により智証大師円珍が入唐求法の際の大中九年(八五五)に師である青龍寺法全和上より師の所持本を付与されたものであることが知られる。内容は、金剛頂経所説の金剛界曼荼羅のうち初めの六会の曼荼羅における五部、即ち仏部・金剛部・宝部・蓮花部・羯磨部の五部の諸尊を一尊ずつに分け、形像・真言・標幟を描いたものである。画面は縱罫により一尊ずつ区分され、各尊の区分は横罫により更に上中下三段に分けられる。上段には円相を描いてその中に真容を、中段には梵文により真言と尊名を、下段には標幟契印等を描く。巻末には作者善無三蔵が表わされ傍に梵文が添えられる。善無畏像の後に次のような奥書が記される。
(略)これらの奥書と裏書とはいずれも円珍の自筆と認められ、本図が智証大師円珍の請来した原本であることは疑う余地がない。裏書によると善無畏三蔵の原本は彩色本であったが、本図はそれの白描画による転写本である。描法は総じて細密であり、形象を細かく写して一線をもおろそかにしない慎重さは、わが国の図像抄本にはその類例を見ないものである。唐より請来した原本図像はほとんどがその跡を滅し現存するものは稀で、五部心観のほか教王護国寺蔵「蘇悉地儀軌契印図(図版84・85)、石山寺蔵理趣経曼荼羅等数点を算えるにすぎない。中でも五部心観に見られる生彩に富んだ表現は他の二者より抜きんでており、わが国仏教図像史の源流に位置するものとして孤高の存在である。
「五部心観」は智証大師による録外の請来品で、古来厳秘の秘本として園城寺に蔵され、世に披露することはなく、十二世紀後半の写本(前欠本)が園城寺に伝えられるのみであったが、求法の士の真摯な熱意は数点の写本を現在に伝えている。
不動明王図(一幅) 信海
醍醐寺 重文紙本墨画
日本の仏教絵画の中で不動明王像ほど変化に富んだ諸種の像容が描かれた尊像はない。本図もそうした作品の一つで、海上の岩の上で右手の剣を杖のように突き、左肘を剣の柄にのせて身体を支える像形は不動明王像の中には類例が見出せない。図上の押紙には「信海闍梨筆 弘安五年九月日」と二行に並記され、その右に「有子細以今案私図之」とあり、弘安五年(一ニ八二)に信海が描いたことを証言している。信海は似絵の名手として名高い藤原信実の第四子で醍醐寺の僧となった人で、通例の不動尊には全く例のない、独創的な像形と構成、火焔・像身・衣服の躍動的で適確な表現などには、礼拝像としての仏画というより、自由に構想した、創造力豊かな芸術性が感じられる。本図には元寇調伏の意図が込められていたと伝えられるが、不動明王の異例な姿勢と、二度の蒙古襲来を撃退した後の弘安五年という時点、更には押紙に記された子細有りげな文面から考えると、その伝承は一考の必要があるであろう。画面に中心線を引き、淡墨で下描きを行ない、下描きを修正しながら濃墨で仕上げる。不動の上半身を輪郭づける肩・腕・脇腹の線の柔らかさ、火焔の勢いを伝える細く流麗な曲線、風になびく腰衣を描いた激しい筆使い、淡墨を用いて量感を表わす岩の皴法など、材質感の差を線描のみで描き分ける画技の冴えは名手信実の息にふさわしく、本図の芸術的価値を高めている。また本図の、太筆を用いて淡墨をはき、量感を表わすことを試みた岩の表現には、白描図像の世界に水墨画表現への接近を示す萌芽が生まれていることを示すものとして注目すべき作品であろう。
紺紙金銀泥金光明経(一巻見返絵)
大長寿院 国宝 金銀絵
紺紙金銀泥大般若経(一巻見返絵)
大長寿院 国宝 金銀絵
中尊寺経は、奥州藤原氏の栄華を示す装飾経の代表的な適例で、内容は初代藤原清衡発願の紺紙金銀字交書一切経・三代秀衡の紺紙
金字一切経・二代基衡と三代秀衡の紺紙金字法華経から成り、あわせて二千七百三十九巻の多きを数える。
写経の上から眺めても、金字或は銀字の壮麗さは目を奪うばかりであるが、就中注目されることは、紺紙金銀泥絵の見返絵であろう
見返絵の内容は、釈迦説法図などをはじめ、さまざまな画題を含み(以下略)