00074競馬パネル:ナリタセンチュリー「2004年第39回京都大賞典」
<サイズ>
□ 額:(約) H:42.1cm/W:42.1cm/D: 42.1cm
<商品説明> ※伝来・口上
□ 2004年 第39回京都大賞典
□ ナリタセンチュリー ※『ウィキペディア』より抜粋
・生年月日:1999年03月20日 (牡)
・毛色:鹿毛
・血統:父トニービン/母プリンセスリーベ
・中央獲得賞金:3億2387万0000円
・通算成績:23戦8勝[8-4-2-9]
・主な勝鞍:2004年 京都大賞典
・主な勝鞍:2005年 京都記念
※馬齢表記は旧表記(数え年)です。
・1999年『セレクトセール』での落札価格は2050万円(税抜)。
・2004年、5歳になり3連勝でオープン入りを果たす。
・GI初出走となった天皇賞(春)では鞍上が主戦騎手の田島裕和から吉田稔に乗り替わる。普段から調教を付け「この馬を生きがいにしてきた」というほどであった田島にとってはショックだった。田島はこの年2004年は3勝しか挙げていないが、その3勝全てナリタセンチュリーによるものだった。
・しかし5ヵ月ぶりの京都大賞典で田島とのコンビが復活。いつものように後方からじっくりとレースを進め、直線でアドマイヤグルーヴを外から交わすと、内を突いてきた断然1番人気のゼンノロブロイと馬体を併せる激しい競り合いの末、クビ差退けて重賞初制覇を飾った。
・前走の天皇賞(春)で騎乗出来なかった田島は「競馬で騎乗出来るか分からず不安に思いながら調教を付けていた」「出馬投票で自分の名前を確認するまでは不安で一杯だった」ことを経ての勝利に、「今回の重賞勝利は今までと違い、悩んでいる時の勝利だったので本当に嬉しかった」と自身サイトに記している。(現在サイトは閉鎖されている。)
・2005年、6歳。その後も乗り替わりは続いたが3戦ぶりに京都記念で田島が騎乗し、雨で重馬場の悪条件の中を終始内を回って1 1/2馬身差を付けて重賞2勝目を再び京都で挙げた。しかし腰が悪化して長期休養を余儀なくされる...
・2006年、7歳。休養は1年2ヵ月にも及び、天皇賞(春)では12着に敗れたが、続く宝塚記念はディープインパクトには4馬身及ばなかったものの単勝10番人気の低評価を覆して2着に入った。
・その秋のGI戦線を目指して調整していたが屈腱炎を発症したため引退した。
・引退後、種牡馬となったが種付け数は伸びず、2012年をもって種牡馬を引退。
・乗馬クラブを転々としている(馬名も変わる)が、2021年9月ナリタセンチュリーの近況の写真をアップされている。
× 枠側面上部に吊るすための空けた「穴」があります。
△ 「ヤケ」「シミ」がありますが、経年劣化相当です。
× 「箱」等の付属品はありません。
<本商品への思い>
■ 相手は「休み明け」だったとはいえ、この直後にGⅠを3連勝・2014年の年度代表馬になった『ゼンノロブロイ』 。 父は私が好んだ『トニービン』 だったこともあり、早くからかなり注目していた馬ですね。
■ トニービン産駒でも“軽い”タイプでした。もう少し重厚さが備わっていたらレバ、【府中】の長い“ダラダラ坂”でも通用したと思うのですが。その見極めが割と出来ていたので「馬券」を買う際には本当に重宝した馬です。ラストランの“万馬券”など 大変ご馳走様でした。(^_^)
■ また本馬も大きなレースでは「乗り替わり」に遭いました。軽い造りで・繊細さが要求される馬は、総じて失敗します。乗り替わりを依頼された方は、やはり勝ち負けをより意識しますからね。けれど、そんな微妙な手綱捌きを『外国人ジョッキー』達の多くは・いとも簡単にクリアしてしまうのですから、騎乗そのものに・まだ何か違いがあるのかもしれません。
■ 優等生で・努力家でもある福永祐一騎手など、あれほどのバックアップも得ていながら肝心なところでは競り負かされていましたからね。【競馬学校】の教職員そのものを抜本的に変えていくなどしなければ、この“外国人ジョッキー旋風”は いつまで経っても止まらない。
■ お好きな方へお譲りできれば嬉しいです。