文庫です。 きれいなほうです。
痴人の愛
きまじめなサラリーマンの河合譲治は、カフェでみそめて育てあげた美少女ナオミを妻にした。河合が独占していたナオミの周辺に、いつしか不良学生たちが群がる。成熟するにつれて妖艶さを増すナオミの肉体に河合は悩まされ、ついには愛欲地獄の底へと落ちていく。
性の倫理も恥じらいもない大胆な小悪魔が、生きるために身につけた超ショッキングなエロチシズムの世界。巻末に用語、時代背景などについての詳細な注解、解説、および年譜を付す。
本文より
ナオミを「偉くすること」と、「人形のように珍重すること」と、この二つが果して両立するものかどうか――?今から思うと馬鹿げた話ですけれど、彼女の愛に惑溺して眼が眩んでいた私には、そんな見易い道理さえ全く分らなかったのです。
「ナオミちゃん、遊びは遊び、勉強は勉強だよ。お前が偉くなってくれればまだまだ僕はいろいろな物を買って上げるよ」
と、私は口癖のように云いました。
「ええ、勉強するわ。そうしてきっと偉くなるわ」……(本書61ページ)
本書「解説」より
その対象がいかなる女性に向けられるにしろ、谷崎が終生求めつづけたのは、魅惑と同時に禁忌の色であるところの「白」だったということである。そしていつの時期にあっても、谷崎が模索した「白」の象徴は時代の風俗とともにある。(略)大正モダニズムの衣裳をまとったナオミの姿は、いまなお嫣然(えんぜん)とわれわれにほほえみかけてくるのである。
「悪」によっていよいよ磨きをかけられたナオミの肌のこの世のものならぬ白さ。……
――野口武彦(文芸評論家)
春琴抄
盲目の三味線師匠春琴に仕える佐助の愛と献身を描いて谷崎文学の頂点をなす作品。幼い頃から春琴に付添い、彼女にとってなくてはならぬ人間になっていた奉公人の佐助は、後年春琴がその美貌を何者かによって傷つけられるや、彼女の面影を脳裡に永遠に保有するため自ら盲目の世界に入る。
単なる被虐趣味をつきぬけて、思考と官能が融合した美の陶酔の世界をくりひろげる。巻末に用語、時代背景などについての詳細な注解、および年譜を付す。
著者の言葉
作家も若い時分には、会話のイキだとか、心理の解剖だとか、場面の描写だとかに巧緻を競い、そういうことに夢中になっているけれども、それでも折々、「一体己(おれ)はこんな事をしていいのか、これが何の足しになるのか、これが芸術と云うものなのか」と云うような疑念が、ふと執筆の最中に脳裡をかすめることがある。……
(創作ノート『春琴抄後語』、本書「解説」より)
本書「解説」より
(谷崎は)百の心理解剖だの性格描写だの会話や場面だの、そんなものがなんだとの感じが強く湧いてくる、というのである。……ほんとうらしい感じを読者に与えるにはどのような形式がふさわしいかと考えたうえ、作者の言を借(かり)れば「最も横着な、やさしい方法を取ることに帰着した。」それが、この『春琴抄』の物語態なのである。
――西村孝次(英文学者)
蓼喰う虫
全てにおいて完璧だと思って結婚した女なのに、なぜ妻という立場になると、欲情しなくなるのだろう……。
セックスレスが原因で不和に陥った一組の夫婦。夫・要は勝手気儘に娼婦を漁り、片や妻・美佐子は夫公認の間男・阿曾の元へと足繁く通う日々を送る。関係はもはや破綻しているのに、子供のことを考えると離婚に踏み切れない。夫婦を夫婦たらしめるものは一体何か。
著者の私生活を反映した問題作。巻末に用語、時代背景などについての詳細な注解、および解説を付す。
本文より
自分たちは自分たちの臆病を恥じるにはあたらない。臆病ならば臆病のようにそれに適応した方策に依って幸福を求めるがいい。そこで要はあらかじめ頭の中へ箇条書きにしておいた下のような条件を出して、「こうしてみたらどうか」と云った。――
一、 美佐子は当分世間的には要の妻であるべきこと。
一、 同様に阿曾は、当分世間的には彼女の友人であるべきこと。
一、 世間的に疑いを招かない範囲で、彼女が阿曾を愛することは精神的にも肉体的にも自由であること。
一、 かくして一二年の経過を見、……(本書126ページ)
谷崎潤一郎(1886-1965)
東京・日本橋生れ。東大国文科中退。在学中より創作を始め、同人雑誌「新思潮」(第二次)を創刊。同誌に発表した「刺青」などの作品が高く評価され作家に。当初は西欧的なスタイルを好んだが、関東大震災を機に関西へ移り住んだこともあって、次第に純日本的なものへの指向を強め、伝統的な日本語による美しい文体を確立するに至る。1949(昭和24)年、文化勲章受章。主な作品に『痴人の愛』『春琴抄』『卍』『細雪』『陰翳礼讃』など。