inception”とは「はじまり」という意味だ。たしかに、なにかが始まった。聴く者を眩惑するような即興演奏。そこには
ブルースのなかのモーダルな解釈、ダイナミックなスケールアウト、そして美麗なコードのヴォイシング──どこか
奇妙だけれど、とてもクールな響きが感じられた。スウィングしなけりゃ意味がないけれど、スウィングするだけが
ジャズではない。そんな目からウロコの、意識改革がなされるような、新たな鼓動を強く感じさせるピアノ・スタイル
──。いま思い返して見ると、マッコイ・タイナーの登場は、新しいスウィングのはじまりだったように、ぼくには感じ
られる。ちゃんと音楽理論を掘り下げなければ──と思わせたのが、マッコイのピアノ・プレイだった。ジャズを演る
には、耳で覚えて真似することも大切だと思うけれど、最終的には知識の蓄積と理論の裏付けも必要になるのだ。
たとえば、ペンタトニック・スケールをしっかり使えるようになったうえで、それを故意に半音ずらして演奏したり、本来
避けるべきである音と承知したうえで、敢えてアヴォイドノートを弾くことによって、独特な響きを生み出したり──。
こういうテクニックは、楽理を知らなければできない。音楽の表現方法は、もちろん自由だ。しかしながら、単なる
非論理的な演奏は、メチャクチャになってしまう可能性が高い。そりゃメチャクチャにも、もっけの幸いが訪れるような
ことがあるのかもしれないけれど、そこから創造的な音楽が生み出されるようなことは、まったくないだろう。音楽の
構造を知り尽くし、逆にそれを崩していくという手法だからこそ、希少な心地よさを生み出すことができる。不協和音程
を理解すれば、それが必ずしも不協和感を与えるとは限らない──ということにも気がつくわけだ。