自宅保管の品です。大変美品ですが古いものですので、表紙など若干の経年変化はございます。ご理解頂ける方にご検討をお願い申し上げます。
日本の原発危険地帯 鎌田慧
世界を震撼させた原発パニック。町はなぜ原発を受け入れたのか。そこで何が起きたのか。
目次
1 原発先進地の当惑―福井
2 金権力発電所の周辺―伊方
3 原発銀座の沈黙―福島
4 抵抗闘争の戦跡―柏崎
5 政治力発電所の地盤―島根
6 原子力半島の抵抗―下北
7 1988年、下北半島の表情
8 核の生ゴミ捨て場はどこに?―人形峠、東濃鉱山、幌延
9 住民投票の勝利、1996年8月―巻町
二〇一一年三月十一日十四時四十六分、「関東東北大震災」が発生、マグニチュード九・〇。
十六年前の一九九五年一月、阪神淡路島地区に壊滅的な打撃を与えた大地震の、およそ千倍もの巨大なエネルギーが、大津波となって太平洋岸・岩手、宮城、福島の海岸線に襲いかかった。死者・行方不明三万、歴史的大惨事となった。 かつて、一八九六(明治二十九)年、三陸沖大地震では、津波の髙さが三十二・二メートル、死者二万二千人となった。今回はそれに匹敵する悲劇をもたらした。が、そのときにも、阪神淡路大震災のときにもなかった異常事態が、より大きな悲惨を引き起こした。福島第一原発の炉心溶融事故である。
第一原発に六基ある原子炉の一号炉と二号炉で、津波の打撃によって、「全交流電源喪失」という非常事態となり、外部からの送電が止まった。このため、緊急炉心冷却装置(ECCS)が作動しない、という極限状況になっていたのだ。
また、冷却水の水位が低下して、燃料棒が水面から露出していた。圧力容器に挿入されている燃料棒を冷却できないまま、炉心溶融にむかっていたのだ。
その後、第一原発では、冷却機能を喪失した三号炉(十四日午前十一時一分)、それにつづけて二号炉(十五日午前六時十分)が水素爆発、四号炉では十五日早朝、使用済み核燃料の冷却プールの水温があがって火災が発生した。三号機でもまた海水注入に遅れをとっていた。
海岸に相並んだ六基の原発のうち、四基の原発は時間差自爆と火災を発生させ、いまなお高熱の状態がつづいている。
原子炉からでている水の放射性物資は、炉内の一万倍といわれている。ヨウ素131が千三百万ベクレル、セシウム137が三百万ベクレルなどと、素人にはにわかに判断できない汚染度である。電源喪失すると、どんな事態になるか、米では三十年も前にシュミレーションを行っていたが、日本は無視していた。原発は安全だ、といいつづけてきた日本政府は、科学的に、というよりも人間的な対応をせず、ついにシュミレーション通りの大事故となった。無知、無責任による人災であり、責任者の刑事責任は免れない。IAEA(国際原子力機関)の指摘によれば、避難対象になっていない「四十キロ圏内」の汚染は、避難基準の二倍に達している、という。国際基準よりも日本が緩やかなのは、人権感覚のちがいでもある。
いま二十キロ圏内に取り残された遺体は、千体以上、といわれている。立ち入りは危険であり、遺体もまた放射物質に汚染され、確認、検視が困難であり、回収は難しい。火葬は煙に放射性物質がふくまれて拡散する。このような不幸が想像されることはなかった。
キャベツの摂取制限のニュースを聞いて、福島県須賀川市に自死した農民がでた。これから、被災地の不幸はますます増殖する。その不幸を再現しないためには、原発の支配から脱却するしかない。簡単なことだ。「脱原発」を宣言し、原発から撤退をはかり、代替エネルギーの開発を毅然と進めればいいだけのことだ。
レビューより
福井、伊方、福島、柏崎などで原子力発電所ができるまでの経緯、とくに、反対勢力をお金の力で懐柔していく様は、生々しい。そして、切ない。
今、福島の人たちは大変なことになっているが、はたして、東京電力だけが悪いのか?国、推進派の役場の人間、漁業関係者、地主、お金をもらって交渉に応じた人たち。広告宣伝費につられて、プロパガンダに加担したメディア。誰が加害者、誰が被害者、とは一口に言いきれない現実。
民主主義を放棄し、国が安全と言ったから、電力会社が安全と言ったから、と考えることをやめてしまった人たち。目の前にに、お金と仕事があったから・・・いわゆる経済発展から取り残された地域が、甘い言葉にのせられて、原発を受け入れるにいたった過程を丹念に描いています。最後まで反対を貫いた人々も登場します。
そして、一度受け入れたらやめられない財政的現実も。あとがきの「カネは一代、放射能は末代」という言葉が本当に心にささります。
そして佐藤栄作久「知事抹殺」もあわせて読むと、地方自治を殺し、国のエネルギー政策の名のもとに、都合の悪いことは検察もグルになって封印していく様に背筋が凍ります。