御存知!Denny Laine加入 Paul McCartney Wings名義作「Wings Wild Life」本国旧リマスター/ボーナス楽曲付国内盤中古でございます。
盤共に非常に状態の良い中古でございます。
本国旧リマスターでございますが、当時のリマスター機器の質の問題からCD用に音を意図的に調整した感がございます。
制作時に生じたノイズ処理等が行われた感が有り幾分リミックス感がございますがオリジナルに即しており、非常に良心的な音質となっております。
ラインナップは貴重な極初期。
Paul McCartney(Vo、B、G、Key、Recorder、Per、ex-The Beatles)、故Linda McCartney(Key、Vo、Per)、Denny Laine(G、B、Key、Vo、Per、ex-The Moody Blues、Ginger Baker's Air Force他)、
Denny Seawell(Ds、Per)となります。
プロデュースはPaul McCartney自身。
エンジニアは何と!Tony Clark(全盛期Moody Blues等手掛ける)、御存知!Alan Parsonsとなります。
1971年7月25日~8月2日英国ロンドン”Abbey Road Studios”となります。
McCartney夫妻名義作”Ram”制作時より、ライヴ含めた今後の活動形態を逡巡し続けたPaul McCartney。
「音楽性を主導するもののバンド的なインプットを欲しがった」Paul McCartney自身が最終的にバンド形態での活動を選択。
その制作末期にPaul McCartney自身のプロデュースでシングル”Another Day”/”Oh Woman, Oh Cry”をバンド形態にて録音制作。
リリース後は大ヒット。大きな手応えを得る事となり、人選に勤しむ事となります。
そして、The Beatles在籍時からの旧知の仲たるDenny Laineにアプローチ。バンド参加の承諾を得る事となります。
1972年7月バンド結成。
新作制作に向け活動を開始するものの、Paul McCartneyが「かのBob Dylanが一週間で作品を完成させた」との報を聞いた事から、同様の短期間制作を指向。
(こういった「思い付き」によるPaul McCartneyの行動が後々の”Wings”のラインナップ崩壊等の混乱を齎す事となりますが.........................)
スコットランドのPaul McCartney所有農場兼スタジオにて創作、そして”Abbey Road Studios”にて短期間制作に乗り出す事となります...........
さて今作。
Paul McCartney曰く「やるんじゃなかった」との事(.......................あのねぇ.................)。
非常に短期間制作である事や非常にラフさを強調した感が有り、デモ感が感じられる音造り。
また、キーボードの有り方に代表される簡素感がミソ。
バンドやライヴ感重視という事が有り、音の隙間を重視した感が窺えるものでございます。
楽曲はMcCartney夫妻が殆どを手掛けておりますが、何せ全盛期Paul McCartneyの創作。
ラフさを強調したとは言え、メロディ重視。短期間の割には案外整ったものでございます。
但し、当時は英国を中心とした”アート・ロック”全盛期。
バンド感を強調したいPaul McCartney自身の意向からか?その音楽性を意識した感のある楽曲が目立つもの。
一連のPaul McCartney作品の中では異色感がございます。
正直、時間を掛けて楽曲を練るべきで有った作品の感は否めませんが、原曲感を重視したいという意図が感じられるもの。
ライヴ活動を見越したバンド結成であった事から、創作はそこそこにライヴ活動へ.....とPaul McCartney自身の興味が移っていた感が窺えるものでございます。
完成後の8月にバンド結成を公式発表。そして10月バンド名を”Wings”と公表。そしてクリスマス商戦に合わせ(笑)今作を12月にリリース。
案外なヒットを記録する事となります(正直、内容が内容だけに..............)。
されど期待されたチャートアクション/セールスにはならなかった模様。
賛否両論に分かれ、結構な批判に晒される事に..................(これが前述の発言に繋がった感.................)。
またライヴ活動に取り組もうとするも、Paul McCartney自身がピアノ等他楽器演奏の際にベースがDenny Laineとなるものの、メインのギター演奏者が不在という問題が判明。
(.......当たり前でしょうが!と言いたくもなりますが...............)
そこで1972年1月名手故Henry McCulllough(ex-Joe Cocker & Greese Band)をスカウト。
大学等の体育館を使用した「飛び込み開催」によるライヴ・ツアーを敢行する事となります...................
その後の2月1日、新ラインナップによる初の新曲”Give Ireland Back to the Irish”を制作。
北アイルランド・ベルファーストで起こった凄惨な「血の日曜日事件」を題材にした抗議楽曲でございますが、リリース後は英国国内での放送が禁止となるものの、結構なヒットを記録。
本格的にバンドとしての活動を本格化していく事となります............................
ボーナス楽曲は4曲。
前述の「Give Ireland Back to the Irish」、そして「Mary Had a Little Lamb」「Little Woman Love」「Mama's Little Girl」となります。
「Give Ireland Back to the Irish」:
今作と打って変わって非常に整った楽曲で躍動感があり、非常にロック色及び当時の(HR系の)「アート・ロック」が強いもの。
名手故Henry McCullough加入で本格的にバンド”Wings”としてシーンに登場という感。
名手故Henry McCulloughの演奏が光るもので、その名手Henry McCulloughが”Wings”で何をやろうとしていたのか?何がやりたかった?が窺える出来となっております。
今作が趣味性やデモ感に溢れていた感が有り、この楽曲がバンド”Wings”としての本格的な第一歩という感がございます。
今作よりも出来が良いとの意見も...........
「Mary Had a Little Lamb」:
1972年3月に録音制作されたものの、創作は名手故Henry McCullough加入前というもの。
されど”Wings”本格発足第二弾という出来で隠れ名曲の感。
こちらも非常に整ったもので起伏があり結構凝った出来、名手故Henry McCulloughのアレンジがアクセントという感。
評価は芳しくなかったものの、結構なヒットを記録したものでございます。
「Little Woman Love」:
前作”Ram”の外れ楽曲。
ジャズ創成期歴史的名手故Milt Hintonがアップライト・ベースで参加という貴重なもの。
McCartney夫妻プロデュースという私的な制作という感のあった”Ram”を感じさせる楽曲でございますが、以後の活動の有り方を逡巡していた事が窺えるものでもございます。
「Mama's Little Girl」:
次作”Red Rose Speedway”の外れ楽曲でございますが、ミキシングは1987年で1990年シングルB面として陽の目を見たというもの。
後に本来は二枚組であった次作”Red Rose Speedway”がレコード会社の圧力でシングル作となり、名手故Henry McCulloughの狙う望む楽曲が悉く外された事(今楽曲もその感.....)で、
その音楽性がメロウに成り過ぎた事で、相当憤慨。
後の脱退に繋がりますが、名手故Henry McCulloughが”Wings”で狙った音楽性が窺えるものでございます。
末期The Beatles的な音楽性(”White Album”とでも申しますか........)の感も...........................
この機会に是非。