希少図録本 中世の占い 写真図版66点 解説
密教図像 陰陽道 真言宗 密教美術 星祭り 星供図 尊星王 妙見菩薩 北斗信仰 諸尊図像集 北斗曼荼羅
図像抄 尊星王 覚禅鈔 北斗法 北斗護摩私記 妙見菩薩法次第 正和元年具注暦 吉日一覧 十二神将像 版本種子曼荼羅 九重守 本命属星供次第 宿曜私記 羅候計都證文 日月蝕事 三十番神像 密教図像 仏教美術 鎌倉密教 熾盛光法 太元法 六字経法 宝楼閣経法 不動法 愛染王法
神奈川県立金沢文庫
1989年
約22x20x0.7cm
95ページ
巻頭口絵カラー6ページ 本文モノクロ
※絶版
中世の日本において、陰陽師や密教の僧侶が行った占いは、
陰陽五行説や密教を教養として受け入れていた公家・武家の上層部の行動に影響を与えていました。
また、占いや禁忌に示された災いから逃れるため、陰陽道・仏教ではさまざまな祈祷・祭り他の宗教儀礼を行い、公家や武家の生活に影響を与えました。
称名寺に伝来した資料を中心に、さまざまな占いや祈祷のテキスト、歴史書・記録・文学・宗教等の資料に現れてくるエピソードを取り上げ、政治・文化に影響を与えた中世の占いの一端にせまる展覧会の公式図録本。
天文道、宿曜道、密教、神仏習合説に立つ天台系の山王神道などの呪術の世界をみていく、
珍しいテーマの、大変貴重な資料本です。
山王神道の咒咀神祭文には、巻末に釈文記載。
【開催にあたって】より
天皇になると憂いがあると相者に占われて源氏の姓を賜った光源氏(源氏物語)、天皇の位につくと占われて平家追討の兵を挙げた高倉宮以仁王(玉葉、平家物語)、兵難の相が現れて法住寺合戦で討死した天台座主明雲(徒然草)、北条高時の遭遇した怪異から鎌倉幕府滅亡を語った藤原仲範(太平記)等中世の歴史・文学・仏教には、占いに関するエピソードが数多く残されています。これらのエピソードが示すように、陰陽師や密教の僧侶が行った占いは陰陽五行説や密教といった中国から移入した思想を教養として受け入れていた公家・武家の上層部の行動に影響を与えていました。また、占いや禁忌に示された災いから逃れるため、陰陽道・仏教ではさまざまな祈祷・祭り他の宗教儀礼を行い、公家や武家の生活に影響を与えました。
本展示では、称名寺に伝来した資料を中心にさまざまな占いや祈祷のテキスト、歴史書・記録・文学・宗教等の資料に現れてくるエピソードを取り上げ、政治・文化に影響を与えた中世の占いの一端にせまってゆきたいと考えます。
【目次】小見出しも紹介します
開催にあたって
目次
図版
天文道と宿曜道
天文道を行った人々 鎌倉の天文道 鎌倉の宿曜道 金沢文庫の陰陽道勘文
<明経道中原氏略系図 陰陽寮の位階構成 第日本史料 伴氏略系図 鎌倉時代中期安倍氏略系図(将軍身固陰陽師) 尊卑分脈 宿曜道昇進例注文にみえる師弟関係
図版解説
【論考テキスト一部紹介】
天文道と宿曜道
天空に輝く星を観て運勢を判断する占星術は、中世の日本でも行われました。中世日本の占星術は、天文道、宿曜道と呼ばれています。天文道と宿曜道をおおまかに分けると、中国の国家占星術を移入して日本風にアレンジした陰陽道の占星術が天文道、漢訳された占星術書を中国に渡った僧侶が持ち帰り密教の星宿信仰と密接な関係をもって貴族社会に広めた占星術が宿曜道ということができます。また、占いの対象についてみると、天文道が天皇の運命や戦争・災害等の国家レベルの事象を占って朝廷や幕府のような国家規模の権力機構に奉仕したのに対し、宿曜道はホロスコープを使って貴族や官人個人の生涯運や年々の運勢を占って貴族社会に受け入れられました。武家の政権として成立した鎌倉幕府でも、京都と鎌倉の間の交流の拡大によって将軍を取巻く儀礼・祭祀が公家風に整備された摂家将軍の時代には、将軍を呪術的に護る人々として僧侶・陰陽師の制度が整えられました。ここでは、鎌倉時代中期の朝廷・幕府の陰陽師・宿曜師を中心に、天文道・宿曜道が公家社会・武家社会に与えた影響をみてゆきます。
【図版解説】より一部紹介
☆北斗七星
古代中国にあって地平に沈むことなく北極星の周りを規則正しく廻る北斗七星は、季節・時刻,方位を知るための重要な星でした。道教や仏教では生を司る南斗に対して北斗は死を司る星座と考えられ、人々は北斗に延命を祈願しました。また、生れた年の北斗七星の一屋を供養する本命星の信仰もありました。七星の星名・年の配当は、道教・仏教ともおなじです。
貪狼星 子
巨門星 丑・亥
禄存星 寅・戌
文曲星 卯酉
廉貞星 辰・申
武曲星 巳・未
破軍星 午
北斗法 室町時代
北斗法は、天変消除・息災延命を求めて一字頂輪・北斗七星を供養した修法です。古代中国では、天の中心にあって動かぬ星北極星は天帝を象徴し、その周りを沈むことなくめぐる北斗七星は天帝の車、七政の象徴などさまざまなシンボルとして使われました。また、一方「真踏」や「搜神記」には、生を司る南斗に対して死を司る北斗が現れてきます。死を司る者としての北斗は、「北斗七星延命経」等密教の典籍にもみられます。
妙見菩薩法次第 鎌倉時代
妙見菩薩は、またの名を北辰菩薩といい北極星の精とされました。本書には、康和二年(1100)二月に権少僧都範俊が行なった妙見菩薩法の次第、久安六年(一一五〇)に中原師業から授けられた北辰の図が書かれています。明経道中原氏が天文道に進出したのは、中原師任が天文習学宣旨を蒙ってからといいます。その後、天文密奏を勤める家として天文道安倍氏に継ぐ地位につきました。後年、安倍泰親は師業の死について「中原師業は帝王の師たる地位にないにも関わらず、二条天皇に星を教えたため天の答を受けて早世した」と九条兼実に語りました。師業早世後、嫡流は師元流に移り、師業流は衰微しました。奥には文永六年(一二六九)十一月二八日に宗週が書写した本奥書のある飼何手沢本です。
本命属星供次第 鎌倉時代
天変消除・玉体安穏などを目的とした北斗法に対し、貴族や官人が個人に配当された星を供養したのが本命星供・当年星供です。本命星供は、生れた年に配当された北斗七星の一星を供養した修法です。当年星供は、年令によって替わる属星で九曜の中の一星があてられます。本書は、属星供の次第を書いた本で、正嘉二年(一二五八)九月二十一日の奥書がある円意所持本です。
星供図 鎌倉時代
本命星・当年星など星供に関する基本的なことを書いたメモ書きです。北斗図は、七星の星名と陰陽五行・日月五星・十二支・命殺など各星に当てられた事項を連ねています。武曲星(開陽星)の脇にある輔星は、「晋書天文志」に「輔星傅乎開陽、所以佐斗成功、丞相之象也」、「妙見神呪経」に「妙見の輪相なり」と北斗を補佐する大臣であると説明しています。
熾盛光法
真言の太元帥法にたいして、天台で修された護国大法が熾盛光法です。熾盛光法は、日・月・星宿など光躍のあるものを司る熾盛光仏頂を本尊とし、日蝕・月蝕、五星(木星・火星・土星・金星・水星)の変、彗星・妖星および風雨の難等天変消除に効験のある修法といわれました。天の秩序が乱れた天変は災いの予兆と考えられ、天変から天皇を護る必要がありました。そのため、天変を消し去る祈?が盛んに行なわれました。
太元法
太元法は真言の護国修法として盛んに修されました。太元法は、太元帥明王を本尊とした修法で、兵革消除の祈祷として修されました。承平・天慶の乱(九三五~九四一)では平将門調伏のために修して効験があったといわれています。また、国家鎮護の修法として私に修することが禁じられ、中関白家の藤原伊周が道長によって失脚させられた事件では(九九六)、太元法を修したことが左遷の理由のひとつに挙げられました。摂関政治の時代には、護国の意味が天皇をさまざまな怪異から護る事と同じ意味になり、玉体護持の修法(御衣加持)として修されました。
六字経法
六字経法は、調伏や息災を目的として行われた修法です。息災法と調伏法では壇様が異なるといいます。本書には、調伏法の壇様が書かれています。六字経法は、結願の日に船の上に壇を築いて修する六字河臨法を行いました。河臨法は、息災の時は南流する河に、調伏の時は北流する河で修したといいます。裏書きには、調伏法は大威徳明王を部主として修したとあります。
また、壇の脇に書かれた人形は、呪詛に用いる人形の図です。
☆政治と災異
古代中国には、陰陽五行の調和した状態に安定を求める政治思想がありました。この思想では、皇帝は天帝の代理として地上を支配する統治者であり、皇帝の行なう政治に対して天からさまざまなメッセージが送られました。この考え方にたつ
と、皇帝が正しい政治を行なうときは陰陽五行が安定していて何事もありません。皇帝が善政を行っているときは祥瑞を示して讃えます。
皇帝の政治が乱れているときは災異を示して反省を求めます。
皇帝が災異を示しても政治を改めないときは怪異を示して警告します。
それでも皇帝が政治を改めないときは、天命を改めて国を滅ぼします。
日本に革命思想は馴染みませんでしたが、天変・地震などの災異が現れると改元・徳政議定など政治の刷新を示し、僧侶の祈?・陰陽師の陰陽道祭等の宗教儀礼を行なって災いを消除しました。
☆星祭り
星を祭った仏教の修法を星宿法といいます。星星・北斗七星・九曜・十二宮・二十八宿を配した曼荼羅を掛けて天変消除・延命を祈願した北斗法、北極星を祭った尊星王法・妙見菩薩法、生れた年の北斗七星の一星を祭った本命星供、年令によってきまる九曜を祭った当年星供等が代表的なものです。天に輝く星が人の運命を支配するという考え方は本来仏教にはないものですが、日本仏教は西洋占星術やインド占星術・中国の占星術・星の宗教ともいわれる道教などさまざまな要素の混じりあった中国仏教を受け入れたため、星占いや祈?が盛んに行なわれました。
宿法は、北極
宿曜私記[北斗事付古事要文] 鎌倉時代
小野僧正仁海が撰した『小野六帖』の一冊です。
北斗七星真言・属星供・二十八宿真言など、星宿法について記しています。この本には、北斗七星の星名と本命星配当を書いた図が載せられています。北斗法の本命星の配当は、『五行大義』卷第四「論七政」所引の五行書「黄帝斗図(歴)」と同一であり、五行家の説からきたことが推測できます。
星供(火曜供) 鎌倉時代 鎌倉~南北朝時代建
建久二年十月一日、中宮藤原任子の御悩御祈火曜供と後鳥羽院の長日貪狼星星供の次第を書いた記録です。
☆呪詛
強力な政敵や恨みを持つ相手を神仏の力をかりて呪いをかける呪詛は、陰湿な政争を繰り返す王朝貴族の世界には度々見られることでした。『今昔物語集』・『宇治拾遺物語』といった説話には、エリートコースを歩む蔵人少将を妬んだ従兄弟が陰陽師に呪をかけさせた物語や壬生官務家の先祖にあたる小槻茂助が呪殺された物語等呪に関する物語が収められています。呪詛に関しては、実際に行ったかという問題は別として嫌疑を受けるだけで政治生命を失いかねない危険な立場に立たされました。保元の乱の一方の中心人物である藤原頼長は、近衛天皇を呪詛したと噂されたため天皇の父鳥羽法皇に憎悪されていたと日記に書いています。鳥羽法皇に疎まれた頼長は反主流に立たされて政治的に追い詰められ、崇徳上皇と結んで保元の乱を起こしました(一一五六)。また、寛元四年には反得宗勢力に担がれた将軍九条頼経の父九条道家が呪詛したため、執権北条経時が早世したという噂が京都に流れます(岡屋関白記、九条道家告文案)。藤原頼長・九条道家が呪詛を行なったか確認できませんが、政治的緊張の高まった状況のなかで呪詛を行なったという噂の流れたことが彼らの致命傷になりました。
天形星之事 鎌倉~南北朝時代
天刑星(天形星)についてのメモ書きです。中国の占星術は天刑星を歳星(木星)所生の星として三十五妖星のひとつに数え(「晋書天文志」)、「指すところの国、戦勝たず、主死して国亡ぶ」(「孝経雌雄図」)という占文が残っています。仏教では、益田家本「辟邪絵」に天刑星の図像があり、牛頭天王ならびに部類及びさまざまな疫鬼を食べて駆除する神としています。時代がくだると天刑星は牛頭天王の下位にたつことになりますが、草戸千軒他の遺跡から天刑星の呪符が出土していて、鎌倉時代末期には逐夜神として信仰が地方に広まっていたと考えられています。
咒咀神祭文 鎌倉~南北朝時代
法華一実三諦円融の思想と一切神祇を結びつけた神仏習合説に立つ天台系の山王神道の祭文です。本文中に、速やかな成就を願う「急々如律令」の呪文があります。また、この祭文は「病自在~所願成就」という祈願を記した文があり、他者に対して怨念を送る呪咀ではなく荒神を避けるための祭文であることがわかります。
咒咀神祭文 釈文一部紹介
咒咀神祭文散供再拝々々謹言
謹請東方咒咀神来入集座
謹請南方咒咀神来入集座
謹請西方咒咀神来入集座
謹請北方咒咀神来入集座
謹請中央咒咀神来入集座
急々如律令上酒
若東方二向テ咒咀ラハ隆三世夜叉明王、王本地返給了
若南方二向テ咒咀ラハ軍荼利夜叉明王、
本地返給了
若西方向テノ咒咀ラハ大威徳夜叉明王、
本地返給了
若北方二向ノテ咒咀ラハ金剛夜叉明王、本地返給了
若中央二向テノ咒咀ラハ大聖不動明王、本地返給了
若子歳/人咒咀ナラハ者釈迦如来本地返給了
若丑歳人咒咀ナラハ者金剛手菩薩本地返給了
若寅歳……以下略
ほか
【掲載作品】一部紹介
(資料名 時代 法量 資料番号掲載)
北斗法 室町時代
妙見菩薩法次第 鎌倉時代
本命属星供次第 鎌倉時代
星供図 鎌倉時代
熾盛光法 鎌倉時代 覚禅抄
太元法 鎌倉時代 覚禅抄
六字経法 鎌倉時代 一三六凾
宝楼閣経法 鎌倉時代 覚禅抄
不動法 鎌倉時代 覚禅抄
愛染王法 下 鎌倉時代 覚禅抄
版本種字曼荼羅 鎌倉時代 胎内納入品
管蠡抄 鎌倉時代 県有
晴雨経法図 鎌倉時代 建築指図
仁王経法図 鎌倉時代 建築指図
保元物語 江戸時代 図沓
太平記 江戸時代 図書
図像抄 天下 鎌倉時代 図像抄
日月蝕事 鎌倉~南北朝時代
孔雀経御読経発願 鎌倉~南北朝時代
金沢貞顕書状 鎌倉時代
日蝕勘文 (国立国会図書館) 鎌倉時代
大方広菩薩蔵文殊師利根本儀軌経 南北朝時代 宋版大蔵経
宿曜私記 鎌倉時代
星供 (火曜供) 鎌倉~南北朝時代
二十八宿図并五行法 鎌倉時代
羅候計都証文 鎌倉時代
平治物語 江戸時代
仁王経御修法日記 鎌倉時代
吾妻鏡 江戸時代
百錬抄 江戸時代
華厳演義鈔外典抄 鎌倉時代
星供図 (北斗図) 鎌倉~南北朝時代
北斗護摩私記 鎌倉~南北朝時代
図像抄 天上 鎌倉時代 図像抄
諸尊図像集 天等部下 (尊星王) 鎌倉時代
中西対照星座図表(参考)
国宝附 顕弁像 鎌倉時代
北斗表白 鎌倉~南北朝時代
国宝 金沢貞顕像 10月展示 鎌倉時代
国宝 金沢貞将像 11月展示 鎌倉時代
三部四処字輪観図 南北朝時代
十二天像 甲本 室町時代
重文 十二神将像 鎌倉時代
三十番神像 南北朝時代
重文 卜筮書巻第二十三断簡 初唐時代
吾妻鏡 江戸時代
金沢貞顕書状 鎌倉時代
称名寺講堂上棟日時勘文 鎌倉時代
日時勘文 鎌倉時代
東御堂居礎日時勘文 鎌倉時代
冬雷鳴勘文 鎌倉時代
重文 厨子入愛染明王坐像 鎌倉時代
官職秘抄 江戸時代 個人
正和元年具注暦 鎌倉時代 古暦
吉日一覧 鎌倉時代 建築指図
益性法親王書状 鎌倉時代
延慶三年具注暦 鎌倉時代 古暦
元亨三年仮名暦 鎌倉時代 古暦
氏名未詳書状 鎌倉時代
産生類聚抄 鎌倉時代
集七十二家相書 鎌倉時代
金沢貞顕書状 鎌倉時代
徒然草 (慶長古活字本) 江戸時代
徒然草 (烏丸本) 江戸時代
天形星之事 鎌倉~南北朝時代
咒咀神祭文 鎌倉~南北朝時代