イーゴリ・マルケヴィチ・コレクション
● ブラームス:交響曲第4番ホ短調 op.98
ラムルー管弦楽団
録音:1958/ステレオ/DG
● コダーイ:ハンガリー詩篇 op.13
ロベルト・イロスファルヴィ(テノール)
ロシア国立交響合唱団
ソビエト国立交響楽団
録音:1963/モノラル/PHILIPS
● レオポルト・モーツァルト:おもちゃの交響曲
モスクワ音楽児童アンサンブル 録音:1964/モノラル/PHILIPS
ブラームスの交響曲第4番は1958年のステレオ録音で、ラムルー管弦楽団の色彩的な音色とマルケヴィチの激しい解釈が結びついたユニークな名演。
ハンガリー詩篇 とおもちゃの交響曲はソ連での録音。
マルケヴィチは1912年7月27日にキエフに誕生しますが、ロシア帝国によるウクライナ地域の統治を嫌った両親はマルケヴィチが2歳のときに一家で出国。マルケヴィチはスイスのヴヴェーで幼少期を過ごすこととなり、父にピアノと作曲を学びますが、知己を得たコルトーからパリでの勉強を薦められ、13歳からコルトーにピアノを、ナディア・ブーランジェに和声と作曲を師事しながらパリでの暮らしをスタート。ほどなく作曲家としての才能を認められるようになり、17歳でディアギレフから依頼されてピアノ協奏曲を作曲、コヴェントガーデンでの初演ではピアニストを務め、また、20歳のときには、モントゥーの教えを受けてコンセルトヘボウ管弦楽団を指揮して自作を演奏するなど、その活躍には華々しいものがありました。また、2年後にはヘルマン・シェルヘンに指揮を師事し始め、同時代音楽への理解を深めて行きます。
24歳の時にマルケヴィチは高名な舞踏家ニジンスキーの娘と結婚、
1940年、マルケヴィチはイタリアを訪れフィレンツェに滞在しますが、その間、スイス国籍を失い、しかもムッソリーニが第二次世界大戦に枢軸国の一員として参戦したため出国がかなわなくなり、さらに大病を患ってしまったため作曲活動を断念、ドイツ軍撤退後、フィレンツェ五月祭の音楽監督に就任しています。
戦後、ニジンスキーの娘と離婚したマルケヴィチはトパツィア・カエターニと結婚、イタリア国籍を取得し、以後、1949年にEMIへの録音そスタートするなど国際的な指揮活動を展開するようになります。
美品。
※マルケヴィチ・ボックスからの分売です。
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