文化勲章受賞作家 北村西望 天馬
伝統工芸 高岡銅器
富山県高岡市で作られる高岡銅器には、約400年の歴史による磨きぬかれた技術と伝統があります。
慶長14年(1609)前田利長公の産業政策により興った鋳物は、型に溶解した金属を流し込んで作る工芸です。当初は鉄による農具や日用品が主体でした。
宝永年間(1751~1780)に唐金(銅)の鋳造技術の導入で、仏具、香炉等の製造が行われるようになり、また梵鐘、灯篭等の大型鋳造も始まりました。
以来、様々な金属や合金の使用、金銀象嵌、着色法の発達など、技術の進歩改良により、今日、格調高い美術工芸品としてその価値を国の内外に認められ、通商産業大臣より、伝統工芸品として指定されております。
北村 西望 略歴
1884 12月16日、長崎県南高来郡南有馬村白木野字宮野木場に生まれる
1903 京都市立美術工芸学校彫刻科入学
彫刻とは、木を彫ることぐらいしか頭にないまま彫刻家への志を立てる
生涯の最愛の友であり、ライバルである建畠大夢と出会う
1912 東京美術学校彫刻科を主席で卒業
1914 郷里にて結婚式を挙げ東京へ戻る
1915 西望の長男「治禧」(はるよし)誕生
第九回文展に「怒涛」を出品、最高賞(二等賞)を受賞
1916 第十回文展に「晩鐘」を出品、特選主席を受ける
建畠大夢・池田勇八・国方林三ら4名で研究会「八手会」(やつで)を結成
1917 「光にうたれる悪魔」が第十一回文展推薦となる。文展常連出品者から文展作家となる
1919 第一回帝国美術院美術展覧会彫刻部審査員となる。以後歴任
1921 東京美術学校教授に任命される。千々石村に橘中佐像建てられる(1954年復活建立)
1923 寺内元帥騎馬像完成、東京の三宅坂に設置(1943年の銅像供出で撤去され鋳潰される)
1925 帝国美術院会員となる
1930 山県有朋元帥像が完成し、霞ヶ関の陸軍大臣官邸に置かれる
(戦時中の供出を逃れ上野に移され、現在は井の頭彫刻園に置いてある)
1938 「板倉退助翁」像完成・国会議事堂内に設置
児玉源太郎大将騎馬像完成し、満州の新京児玉公園に設置される
1944 朝倉文夫と共に銅像救出委員会を組織。銅像供出の阻止運動を行う
東京美術学校を退職・従三位勲四等を受ける
1945 矢那瀬村に三年間疎開。この疎開中、必要に迫られ新しい技法石膏直付け法を思いつく
1953 井の頭自然文化園の土地を東京都から借り、アトリエを建設、そのアトリエに移る
1955 長崎平和祈念像完成、8月8日除幕式
1958 文化勲章・文化功労賞拝受
1965 日本芸術院第一部長となる
1969 社団法人日展会長となる。紺綬褒章を授与される
1972 島原城に「西望記念館」完成
1973 原城本丸に「天草四郎像」設置
1974 社団法人日展名誉会長となる
1976 新宮殿に「天馬」を献納
1977 広島市中央公園 鯉「飛躍」設置
1979 西望公園完成・記念館オープン
1981 東京都青梅市御岳山頂「畠山重忠公像」設置
1985 西望公園・記念館復元工事完成
1987 3月4日逝去、享年104歳
この作品は、高岡の伝統的技法「蝋型鋳造法」によって制作されたものです。北村西望先生は、日本を代表する彫刻家です。
鋳物による一点物で台座付、縁起の良い金色仕上げ。すばらしい出来栄えの重厚感あふれる逸品です。ぜひこの機会にご所蔵下さい。
長期在庫商品、現品限り。
ブロンズ像,彫塑,動物像,干支
高岡鋳物
文化勲章受賞作家 北村西望
天馬
商品番号 c-br-yo246-y52
価格 55,000円 (税込)
サイズ 幅 約 cm 奥行 約 cm 高さ 約 cm(台を含む)
付属品 大理石付台 桐共箱 しおり
商品の特徴 手造り、新品(デットストック)日本製
全て手作りのため、多少歪みが有ります。また、表面は金色ブロンズ腐食仕上げでございます。
注 意 充分注意して撮影等しておりますが、お使いのモニターによっては色が違って見える場合があります。
こちらの商品は新品ですが、デッドストック・ビンテージ品です。倉庫で保管、管理されていますが、外箱などに多少の経年変化がございますことをご理解下さい。
(2023年 5月 10日 16時 34分 追加)サイズ 幅 約 26.2cm 奥行 約 12.2cm 高さ 約 28cm(台を含む)