~サイズ~
作品の寸法~ 幅 51 ㎝ 長さ 34,8 ㎝
掛軸の寸法~ 幅 58,5 ㎝ 長さ 114 ㎝~幅 (軸端から軸端 64 ㎝)
合わせ箱、 良い初表具、絹表具の中回しは金襴、折れあります、
…中の紙面に折れやシミや欠損補修あります…軸端は古い七宝焼き
~作者説明~
明誉 古間 (みょうよ こかん、 承応 2年(1653年) - 享保 2年 5月23日 (1717年 7月1日))は、 日本 の 江戸時代 前期から中期にかけて活動した 浄土宗 の 僧侶 、 画僧。 京都 の報恩寺第15代住職。 僧名は、澄蓮社明誉虚舟古 [1]。 出生地や家系、世俗名などの出自は不明だが、 大和郡山 出身とする説がある
出生地や家系、世俗名などの出自は不明だが、
大和郡山出身とする説がある
[2][1]。当時浄土宗の僧侶になるには、15歳でどこかの寺院に所属し
関東十八檀林での修学を始めるのが普通なため、このころに出家したと考えられる
[1]。所属は大和郡山の西岸寺とする意見もあるが、『続緑山志目次』の記述から
称名寺 (奈良市)の可能性がある
[1]。
増上寺で修行したとされ、
貞享元年(
1684年)32歳の時、敬神の証として自ら
大黒天を1000体描くことにした、というのが初めてわかる事績である。1680年代後半から20年ほど、
京都で画僧として活動していたようだ。年次が確実な最も早い作品は、貞享5年(
1688年)刊行の『當麻曼荼羅白記撮要』(
当麻曼荼羅についての必修概要)と『浄土十六祖伝』の木版挿絵で、以後もしばしば浄土宗関係の版本の挿絵を手掛けている。
元禄10年(
1697年)
知恩院で浄土宗祖
法然が
東山天皇から「円光大師」を追贈されたことを祝した記念式典が行われた際、古はこれを記録する「円光大師贈号絵詞伝」制作を任されており、既に画僧として名声を得ていたことを物語っている。
元禄15年(
1702年)頃に大和郡山の西岸寺に移り、ついで
正徳元年(
1711年)頃に西
岩倉の専修院、
上京区の浄福寺へ移り、後に報恩寺に移る。京都移住後も奈良との関係は深く、
奈良や大和郡山を中心に多くの社寺に古の作品を残している。特に正徳2年(
1712年)から享保元年(
1716年)までの4年間は
薬師寺を頻繁に訪れ、地蔵院に逗留していた
[1]。晩年大和に行き郡山西巌寺にて没す
[3]。享保2年(1717年)示寂、65歳。墓所は報恩寺とされるが、これは同寺の第25世来誉が
天明の大火後に歴代住職顕彰のために建立した
無縫塔である。実際の墓は現在確認できないが、浄福寺に葬られたと考えられ
[4][1]、薬師寺大基堂に
位牌が安置されている。
また書にも堪能で、忍海と月僊と共に「江戸時代浄土宗の三筆」
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