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なんと廃盤か?SACD向けのリマスタだと思われますが、それはハイブリッドだったと思いますし、CDのほうが優位な部分が多くしかも、反射層の問題からは明らかに優位。そして、日本のリクエストによるものだと思いますが録音のデータ等完備した永遠の決定版が、こんなにすぐ入手難とは・・ ジャンル:【中古】クラシックカタログNo:BC0301632レーベル:Berlin Classics *cl*発売国:Germanyフォーマット:CDその他:輸入盤 商品説明 (こちらは新品のHMVレビューとなります。参考として下さいませ。中古商品にはサイト上に記載がある場合でも、封入/外付け特典は付属いたしません。また、実際の商品と内容が異なる場合がございます。) レーグナーのブルックナー交響曲集(6CD) おなじみのレーグナーのブルックナー交響曲選集(第4~9番)が、新たなマスタリングで登場。最良のマスターからの制作ということで、黄金時代のベルリン放送交響楽団による多彩な表情を持つ演奏の魅力がさらに高まるものと思われます。ブックレットには使用したマスターテープの箱の写真も掲載し、その際に判明した日付情報を、今回のセットでは「録音データ」として記載しているということです。エンジニアは近年評判の良いクリストフ・シュティッケル。 Berlin Classics ETERNA Original Master Series ●スイトナー/レジェンダリー・レコーディングス (7CD) ●スイトナー/ドヴォルザーク交響曲全集 (5CD) ●レーグナー/マーラー交響曲第3番、第6番 (3CD) ●レーグナー/ブルックナー交響曲集 (6CD) Berlin Classics所蔵 オリジナル・アナログ・マスターテープ使用 マスタリングについて~クリストフ・シュティッケル(マスタリング・エンジニア) ETERNAテープをリマスタリングする際の前提は、オリジナル・サウンドを変えることなく可能な限り最高の状態でオリジナル・サウンドを再現することでした。 全ての作業はオリジナルのアナログ・マスターテープに基づき、マスタリングはそれぞれのテープに対して細心の注意を払って行われました。 アナログ領域のみでサウンド処理されたアナログ信号を96kHz / 24bitの高品位デジタル化後に44.1kHz / 16bit化されました。 また、デジタル領域においてもノイズの除去や、オリジナル・サウンドに影響を与えるその他の修復は行わず、必要最小限のテープ・エラーとテクニカル・クリックのみの修復が行われました。 収録情報 CD1 ブルックナー:交響曲第4番 変ホ長調『ロマンティック』WAB.104 録音:1984年7月、東ベルリン、フンクハウス・ナレーパシュトラーセ SRK1 プロデューサー:エバーハルト・ガイガー、エンジニア:ローター・ヒューブナー CD2 ブルックナー:交響曲第5番 変ロ長調 WAB.105 録音:1984年3月、東ベルリン、フンクハウス・ナレーパシュトラーセ SRK1 プロデューサー:エバーハルト・ガイガー、エンジニア:ローター・ヒューブナー CD3 ブルックナー:交響曲第6番 イ長調 WAB.106 録音:1980年6月17-19日、東ベルリン、キリスト教会 プロデューサー:エバーハルト・ガイガー、エンジニア:エバーハルト・リヒター CD4 ブルックナー:交響曲第7番 ホ長調 WAB.107 録音:1983年10月、東ベルリン、フンクハウス・ナレーパシュトラーセ SRK1 プロデューサー:エバーハルト・ガイガー、エンジニア:ローター・ヒューブナー CD5 ブルックナー:交響曲第8番 ハ短調 WAB.108 録音:1985年8月、東ベルリン、フンクハウス・ナレーパシュトラーセ SRK1 プロデューサー:エバーハルト・ガイガー、エンジニア:不明 CD6 ブルックナー:交響曲第9番 ニ短調 WAB.109 録音:1983年2月9-12日、東ベルリン、フンクハウス・ナレーパシュトラーセ SRK1 プロデューサー:エバーハルト・ガイガー、エンジニア:ハインツ・イェッケル ベルリン放送交響楽団 ハインツ・レーグナー(指揮) ライプツィヒのブルックナー演奏史 レーグナーが生まれ育ち、長く暮らしたライプツィヒは、ブルックナー演奏の一大拠点としても有名。ライプツィヒでのブルックナー演奏環境がレーグナーに与えた刺激や影響には少なからぬものがあると考えられるので、以下、ゲヴァントハウス管弦楽団を中心に、ライプツィヒでおこなわれた演奏について概観しておきます。 1884年、ライプツィヒ市立歌劇場の若き音楽総監督アルトゥール・ニキシュが、歌劇場のオーケストラ(ゲヴァントハウス管弦楽団)を指揮して、特別に歌劇場でおこなった交響曲第7番の世界初演が大成功。ブルックナーと29歳のニキシュは、手紙や電報のやりとりの末に現地で綿密に打ち合わせ。さらにニキシュは事前に批評家を招いてピアノでレクチャーし、リハーサルも当時異例の5回おこなうなど準備万端でした。この公演での成功が呼び水になり、以後、ブルックナーの名声が急速に高まるのですが、肝心のゲヴァントハウス管弦楽団の首席指揮者は、保守的なカール・ライネッケ[1824-1910]ということで、ライプツィヒでのブルックナー演奏はしばらくは無理な状態が続きます。 ニキシュ自身も、1889年から1893年まではボストン交響楽団の音楽監督、1893年から1895年まではブダペスト王立歌劇場(ハンガリー国立歌劇場)の音楽監督に就いたためライプツィヒ不在。1895年にゲヴァントハウス管弦楽団の首席指揮者に就任してライプツィヒに戻ったものの、約150km離れたベルリン・フィルの首席指揮者と兼務で、さらに1897年にはハンブルクのフィルハーモニー協会のオーケストラでの指揮も承諾。ライプツィヒとベルリン、ハンブルクでの仕事はニキシュの死まで続いていましたが、その間、ウィーン・フィルやコンセルトヘボウ管弦楽団、ロンドン交響楽団、コヴェントガーデン王立歌劇場などでの仕事も舞い込み、さらに1902年から1907年にはライプツィヒ音楽院院長も兼ねるなど、多忙な状況が継続。 結果、1897年:テ・デウム、1899年:5番(ブゾーニによるピアノ・レクチャー付き公演)、1902年:3番、1904年:7番と2番、1906年:8番と9番、1907年:2番、1908年:8番、といった具合に、散発的にしかブルックナー作品を取り上げることができませんでしたが、1910年以降は亡くなるまで毎年とりあげるようになり、特に1919/1920年のシーズンには史上初となるブルックナーの交響曲連続演奏会シリーズを敢行、大成功を収め、ゲヴァントハウス管弦楽団の首席指揮者就任25周年ということもあって、ブルックナーの肖像画を贈られたりもしています。任期中のブルックナー関連客演指揮者は、カール・ムック(7番)、カール・シュトラウベ(テ・デウム)など。 ゲヴァントハウス管弦楽団の後任の首席指揮者ヴィルヘルム・フルトヴェングラーも、ニキシュのブルックナーへの取り組みを維持したいと語り、1928年に退任するまでの6年間、第4・5・7・8・9番をとりあげたほか、客演にオットー・クレンペラー(8番)、カール・シューリヒト(5番)、クレメンス・クラウス(3番)も呼んでブルックナーを盛り上げてもいます。 フルトヴェングラー退任の翌年、レーグナーの生まれた1929年には、ブルーノ・ワルターがゲヴァントハウス管弦楽団の首席指揮者に就任。1933年までの4年間に第4・5・8・9番を指揮、第0番を取り上げようとしたところで政府により解雇。任期中のブルックナー関連客演指揮者は、ハンス・ヴァイスバッハ(9番)、オイゲン・ヨッフム(7番)、オットー・クレンペラー(7・5番)、ヘルマン・アーベントロート(4番)などと充実。 ワルターの急な解雇後、第0番はハンス・・ヴァイスバッハによって無事に紹介され、その後、カール・ムック(7番)、オイゲン・パプスト(8番)と客演での繋ぎが続きます。 1934年にゲヴァントハウス管弦楽団の首席指揮者に就任したヘルマン・アーベントロートは、敗戦の半年後までの11年間に、交響曲第1・2・3・4・5・6・7・8・9番、及びテ・デウム、ニ短調ミサを数多く取り上げたほか、国際ブルックナー協会により新たに出版が始まった原典版の紹介にも熱心に取り組んだというブルックナーのスペシャリスト。任期中のブルックナー関連客演指揮者はギュンター・ラミン(詩篇150番、ヘ短調ミサ)、パウル・シュミッツ(6番)など。 戦後、ゲヴァントハウス管弦楽団の新たな首席指揮者となったのはヘルベルト・アルベルト。2年間の任期のうちに、第1・5・7・8・9番を指揮。任期中のブルックナー関連客演指揮者は、パウル・シュミッツ(2番)、フリッツ・レーマン(6番)、レオポルト・ルートヴィヒ(8番)、そしてギュンター・ラミン(合唱曲)というもので、レーグナーはこの時期に、ラミンと親しく交流してもいました。 1949年、東ドイツ成立の年には、フランツ・コンヴィチュニーがゲヴァントハウス管弦楽団の首席指揮者に任命。ライプツィヒ市立歌劇場が爆破されオペラ上演が減少していたこともあって、着任間もなくオーケストラと長期の海外ツアーに出かけたところ大成功。以後、数多くの長期ツアーを実施することになります。そのため、オペラ上演と聖トーマス教会でのコンサートに支障が出ないよう楽員数も大幅に増強し、オーケストラ・コンサートが最優先という取り決めも実現。コンヴィチュニーは1935年、33歳のときに国際ブルックナー協会ブルックナー・フェストで、第4・5・7・9番と800名の合唱によるテ・デウムを指揮した実績の持ち主(そのフェストでの第1・8番がアーベントロート、第2・6番がカール・レオンハルト、第3番がハンス・ロスバウト)。この東ドイツでの人事でも、ベルリン国立歌劇場音楽総監督との兼務という過酷な条件ながら、得意のブルックナーには楽員数も含めて十分に配慮、数々の本番演奏に加え、第5・7・9番をセッション録音してもいます。1962年、ツアー中に突然死するまでの13年間の任期中には、パウル・シュミッツ(0番)、クルト・マズア(1番)、ゲルハルト・プフリューガー(00番)などがブルックナー作品で客演。 同じく1949年には、ヘルマン・アーベントロートがライプツィヒに戻り、ライプツィヒ放送交響楽団の首席指揮者に就任。亡くなる1956年までの7年間、ブルックナーの放送録音など実施。アーベントロートは、1900年代なかばからリューベック、1910年代の終わりからケルンでブルックナーに取り組み、1934年から1945年にはゲヴァントハウス管弦楽団で大規模かつ集中的にブルックナーを演奏。そして戦後はライプツィヒ放送交響楽団で再びブルックナーに見事な演奏を聴かせています。 アーベントロートの後任として、1958年からヘルベルト・ケーゲルが着任。ブルックナーについては早くからとりあげ、第3・4・5・6・7・8・9番、及びテ・デウムを指揮。客演でコンヴィチュニーがブルックナー作品を指揮したりもしていました。 なにかとても正しいもの、本質的なものに根... 投稿日:2022/06/12 (日) なにかとても正しいもの、本質的なものに根ざしたように聞こえる演奏。 その点が、宇野先生の心を射止めたのではないでしょうか。 トラトラトラ さん|佐賀県|不明 共感する 1 誤解を招く表現かもしれないが、レーグナー... 投稿日:2022/05/24 (火) 誤解を招く表現かもしれないが、レーグナーのブルックナーは普段使いのブルックナーという印象を持った。 チェリビダッケのブルックナーは天上で奏でられる音楽であり、聴く側にもそれなりの覚悟を要求されるように思う。少なくとも私には毎日のように気軽に聴ける音楽ではない。 一方、レーグナーのブルックナーはブラームスの交響曲同様、紛れもないロマン派の交響曲であることを思い起こさせる演奏であり、何となく今日はブルックナーが聴きたいな...+ 続きを見る HONA さん|埼玉県|不明 共感する 1 |
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5*5*e*** | 142 | 191最高 | 11/22/2024 10:51:35 |
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