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新書: 299ページ
出版社: 中央公論新社; 増補版 (2011/5/10)
発売日: 2011/5/10
商品パッケージの寸法: 16.8 x 11 x 1.8 cm
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全体状態評価「A」・経年劣化「小」・カバーイタミ「小」・スリキズ「小」・小口手あか「無」・日焼け「小」・水濡れ「無」
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原発が支えた豊かさ、核の傘に守られた平和。このねじれと、どう向き合ったか。政財官、ゴジラ、推進/反対運動、今春の事故まで 豊かさを求めて「原発大国」を選んだ唯一の被爆国・日本。核の傘の下で平和憲法を制定した日本。このねじれを政財官の動き、映画等の文化を題材に検証。2011年論を加え、文庫版に増補。 【目次】 一九五四年論 水爆映画としてのゴジラ―中曽根康弘と原子力の黎明期 一九五七年論 ウラン爺の伝説―科学と反科学の間で揺らぐ「信頼」 一九六五年論 鉄腕アトムとオッペンハイマー―自分と自分でないものが出会う 一九七〇年論 大阪万博―未来が輝かしかった頃 一九七四年論 電源三法交付金―過疎と過密と原発と 一九八〇年論 清水幾太郎の「転向」―講和、安保、核武装 一九八六年論 高木仁三郎―科学の論理と運動の論理 一九九九年論 JCO臨界事故―原子力的日光の及ばぬ先の孤独な死 二〇〇二年論 ノイマンから遠く離れて 【要約せずに全てを読むべき】 東日本震災の後、関東に住むものとして原子力発電について考えない日はない。原子力発電の是非について考えることもさることながら、原発の是非について議論が議論として成立していないことに興味を覚えた。これは過去の経緯に原因があるのだろうと思いから日本における原子力の歴史を知るべく読んだ。 そうした動機にはまさにうってつけの本で、1945年8月6日以降、日本がどう原子力と向き合ってきたのかを、大まかに時系列的に、地方、政治、ゴジラやアトムなどの文化を含めてさまざまな視点から描いている。 筆者が「スイシン」、「ハンタイ」どちらにも与さないように細心の注意を払ったとあるように、非常に理性的に事実に基づきそのうえで筆者の意見をきちんと述べる形で論旨が展開されており、勉強になると同時に考えさせられる。 「原子力的日光の中でひなたぼっこしていた」という言葉に啓発されて本を書き始めたという筆者のひらめきと強い意欲によって、高い密度で戦後の60年間が描ききられている。 日本の戦後政治は、核エネルギー(原子力発電所と原子力爆弾の双方)の影響を除いては語れないものだということを改めて感じたし、それによって日本の抱えてきた多くの本質的な問題、たとえば地方と中央、産業構造の転換と弱者、といった現実が表出されてもいる。 詳細を要約するよりも、内容のすべてが等しく価値のある本なので興味があればぜひ通読をすべきタイプのノンフィクションだろう。 それでもあえてひとつ言うとすれば、福島第一原発の悲劇は明らかに人災だが、それはスイシン派によって起こされた過失というよりは、スイシンとハンタイ(これはイデオロギー対決の産物でもあるが)の双方の活動の結果双方にとって望ましくない結論に陥り、有事に対応できない状況が生まれていたということは、日本人が自ら恥ずべきこととして知っておくべきだろう。 【ひょうたんなまず派の哲学】 原発推進派と原発反対派が二勢力としてにらみ合いの状況にあり、建設的な議論がなされず着地点が見出されない。これが著者の基本的な認識となっているのだが、「スイシン派」と「ハンタイ派」が対等な立場になかったことは、著者自身の記述からも容易に読み取ることができる。 「制度を作る政府が原子力政策に関して「公」として中立の立場を採ることがなく、あくまでスイシン勢力であるという」事実(233頁)、そしてそれを背景に、推進派が原発立地予定地域の世論を誘導するために投入し得る「力と財力」(同)を有しているという事実を見ても、推進派と反対派が力関係において非対称的であることは明らかである。 「力と財力」によって反対派を排除し、原発の是非が政治的争点として浮上することを抑え込み、大半の人々が原発に無関心になるように仕向けること、これらは原発推進勢力が組織的に仕掛けてきたことである。推進派の圧倒的な「力と財力」で挽きならされた状況の中で、反対派がいかほどの影響力を持ち得たことか。二つの勢力の二項対立のにらみ合いとは、著者が虚構した架空の状況ではないだろうか。 「反原発運動の高まりがかえって事故を招くこともある」(219頁)として、原発労働者のモチベーションの低下や、担い手不足や、安全対策の不備などに逆説的に結び付けて反対派を断罪する著者の論法は、具体的な事実に立脚した論証になっていないばかりか、現実の力関係を隠蔽する機能を果たしてしまっている点で、多分にイデオロギッシュであると思う。 「原子力を拒否するとしても、その選択により社会的弱者にしわ寄せがいかないかどうかはきちんと検討する必要があります」(12頁)とする著者の誠実を疑う気はないが、それがかつて体制に対する批判や反対を封じるために、普段は考えもしない「弱者」を都合よく持ち出して労働運動を叩いた山本七平ら保守派の論理と二重写しになって見えることも否定できない。 本書は数年をかけて書き継がれた労作であり、電源三法交付金を論じた「1974年論」、清水幾太郎の転向を論じた「1980年論」などは興味深く、特に後者は本書の白眉といってよいと思うが、私には著者の立ち位置がよくわからない(吉本隆明『反核異論』を巡る論争に全く言及されていないのはなぜなのか)。著者を「原発御用学者」だとする批判もネット上に散見されるが、そうとも思えない。「ひょうたんなまずのようにつかまえどころのない」(29頁)本である。 【ニュートラルに原子力という問題を捉えようとしている】 本書は2002年に出版された「核論」を新書化したものである。 本書の特徴は、原子力に対して「スイシン」、「ハンタイ」といった立場を取らず、あくまでニュートラルに原子力という問題を捉えようとしている点である。それは、読者が自分で考え、自分の意見を構築させ、そして行動するうえでのあくまで情報にしか過ぎない、と本書を著者が位置づけているからである。著者はあとがきで次のように述べている。「ハンタイ、サンセイのいずれにくみするわけではなく、むしろその膠着した構図そのものを相手取ろうと努めた」。そして、原子力エネルギー利用技術史を辿り直し、核論の集合として、時空を横断する原子力というテーマの全体的な構造についてのアプローチを試みたのである。原子力を推進させる側の我田引水的なロジックの問題を挙げていると同時に、反原発派の偏狭な考え方がかえって問題の解決を遅らせる、といった状況分析をするなど、原子力をとりまくプレイヤーが客観的に批判されている。その一歩、引いた立ち位置は、ポスト・フクシマ原発事故以前であるからこそ可能であったと思われるが、そのような視座は、フクシマ原発事故の現状を分析、把握するうえでも大変参考になる。 そして、そのような一歩引いた姿勢を有しているからこそ、本書は原子力をとりまく様々な問題が見えてくる。原子力に照らされた戦後の日本は、まさに砂上の楼閣のような「豊かさ」という幻影に踊らされた虚構であることが理解できる。それは、電力会社や自民党だけにフクシマ原発の事故の犯人であると片付けられるような表層的な問題ではない。もっと、人間そして日本という国の原罪的な深みが見えてくる。そして、このような日本の根源的な原子力に対しての屈折した思いが、結果としてフクシマ原発の事故を招いてしまったのではないだろうか。 フクシマ原発の事故を受けて、大幅な前書きが付け加えてある。 「残念ながら「核論」にはフクシマ第一原発事故を回避させる力はなかった」との悔悟の念を述べた後、「新しい社会を、自分自身の責任に引き寄せて自覚的に選び、そしてこんなかたちで原発事故が起きて、こんなかたちで醜く混乱する歴史を二度と繰り返さないようにしたい」と決意を述べる。繰り返すが、本書はフクシマ原発事故以前に書かれた。それと、著者の真摯な取材対象に対峙する姿勢が、フクシマ原発事故以降に、原発という問題を理解するうえで大変参考になる。原発をとりまく社会環境をしっかりと理解し、自分の頭でその問題を再整理し、二度と、このような事故が起きないために何をするべきか。行動するためには是非とも読んでもらいたい一冊である。 |
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