定価1700円
本の状態に悪い点全く無し
すべてのことわざには謎(ミステリー)がある! ――
「《七転び八起き》だと数が合わないんじゃない?」「《棚からぼた餅》が発生する傾きは?」「《へそが茶を沸かす》ための条件とは?」「《二階から目薬》で殺人は可能?」「《捕らぬ狸の皮算用》の見積もり額は?」「《穴があったら入りたい》ときの穴の深さって?」――普段、何げなく口にしていることわざや故事成語・慣用句だが、いざその言葉の表す意味を〈検証〉してみると、謎や矛盾に満ちたものだったり、現実にはありえないシチュエーションだったりするものがいかに多いことか。さらに、誤解に基づく事象を語源としている場合もあり、かならずしも〈真実〉をついているとは言い切れないものばかりなのである。
こうした「ことばの謎」の数々を前に、ミステリ作家・浅暮三文が立ち上がる! 時に論理的、時に妄想を爆発させて展開、単なる語源的解説にとどまらない自由な発想を駆使した、言葉にまつわる「イグノーベル」的考察を存分に楽しめる超絶エッセイ! !
【目次】
PART1 ことわざの謎は科学で解明できる(と思う)
「棚からぼた餅」が発生する傾きは八〜十五度だ。
「七転び八起き」はタイムトラベルか二人羽織りだ。
「へそが茶を沸かす」には四十℃以上、二時間半でよい。
「二階から目薬」による殺人は可能だが、コントロールがいる。
「穴があったら入りたい」ときの穴は百六十四センチ。
「溺れる者は藁をも掴む」なら九万六千本。
「耳に胼胝ができる」なら蛸は吸盤にできる。
「来年のことを言うと鬼が笑う」のは新年がまだ去年だからだ。
「馬耳東風」のメッセージはお天気情報満載だ。
「火のない所に煙は立たぬ」どころか人間まで燃える。
PART2 ことわざの謎は歴史学で解明できる(だろう)
「コロンブスの卵」はスパニッシュのゆで卵だった。
「藪から棒」な事態は京都祇園あたりが発祥だった。
「雨が降ろうが槍が降ろうが」、小さなワニが降ろうが。
「酒池肉林」の池には鯉、肉は子豚の丸焼きだ。
「聞いて極楽、見て地獄」へと続く狭き門は九十一・二センチ。
「深窓の令嬢」は楊貴妃(ぽっちゃり型)だった。
「メートルを上げる」には六年の大旅行となる。
「柳の下の泥鰌」は東京京橋あたりにいた。
「男子家を出れば七人の敵」とは豊臣家臣(十人かも)。
PART3 ことわざの謎は生物学で解明できる(のかな)
「蛇に睨まれた蛙」は剣豪並みに強い。
「喉から手が出る」手は生物学的には舌だ。
「雀百まで踊り忘れず」だが兵庫県間子地区では忘れている。
「どこの馬の骨ともわからぬ」馬は役所でわかる。
「目から鱗が落ちる」のはヘビでは当たり前だ。
「清水の舞台から飛び降りる」とあまり死なない。
「火事場の馬鹿力」は成人男性で百六十九キロである。
「弘法も筆の誤り」は脳の書き換え(世界各国でも)。
「木に縁りて魚を求む」なら乾期のタイかベトナムへ。
「頭隠して尻隠さず」は成人男女ともハンカチで防げる。
PART4 ことわざの謎は社会学で解明できる(かしら)
「ハリネズミのジレンマ」は、そもそも起こらない。
「帯に短したすきに長し」は二・四~三・二二メートル内の紐だ。
「横紙破り」は横を弱い者いじめしている。
「一線を画す」と福島県では山に登れる。
「高嶺の花」は昔は手が届く桜だった。
「苦しい時の神頼み」はご近所で済ませられる。
「同じ穴のムジナ」の共犯者はキツネである。
「輪をかける」と縁起が良い。
「なくて七癖」には貧乏神が憑いている。
PART5 ことわざの謎は経済学で解明できる(はずだ)
「捕らぬ狸の皮算用」は一万五千円(内経費九百円)。
「爪に火を点す」とくさいだけで節約できない。
千百五十円で足りる「地獄の沙汰も金次第」。
「重箱の隅をつつく」とかまぼこと野菜で安上がりだ。
「同じ釜の飯を食う」のは古墳時代の豪族、メニュウは豪華。
「江戸の敵を長崎で討つ」には興行収益三億円以上が必要。