■作家・作品紹介マルク・ザロヴィッチ・シャガール (1887年7月6日-1985年3月28日) ロシア出身のユダヤ系フランス人画家。 初期前衛芸術運動の代表的な画家、又、エコール・ド・パリの 中心的な人物。 1887年、ロシア、ウィテブスクに生まれる。ユダヤ人。 シャガールの家族は敬虔なユダヤ教徒であった。 世界は第一次大戦、ロシア革命、第二次大戦と激動していく、 それはユダヤ人にとっては特に重い経験であった。 シャガールの絵にはユダヤが主題になるものも多い。 後年、父のルーツであるパレスティナ、エジプト、シリアを 旅行している。 ペテルブルクの美術学校に学ぶ。 幻想的な絵画は、ユダヤ教の象徴やロシア民衆版画などから来るもの。 民族や、異邦人の悲劇、悲哀など、人間の苦悩が根底にある。 未来派や前衛美術に多くの影響を与えた。 初期には褐色系の色彩を基調とし、ゴーガンやナビ派の影響が 見られる。 パリに出てからは故郷ヴィテプスクやロシアの情景、幼い日々の 家庭内の情景、祭りや婚礼などの絵を描いた。1910年パリへ行く。 「ラ・リュッシュ(蜂の巣箱)」(芸術家たちの宿)で、 B・サンドラール(詩人)やドローネーらと出会う。 ここで多くの前衛芸術家と知りあう。 フォーヴィズム、キュビズム、未来派など新しいスタイルを知る。1914年ベルリンの「シュトゥルム画廊」で個展を開く。 これは「青騎士」のメンバーに称賛された。 ベラと結婚。 ベラとの結婚後は幸福な日々をパリの街や故郷を背景に描いた。1914-23年までロシアに滞在。 マレーヴィチと衝突した。画風の幻想性と非現実性がロシア政府に 嫌われた。1923年パリに戻り、ゴーゴリ作「死せる魂」の挿絵を描く。1941年 ニューヨーク近代美術館の招待でアメリカへ行く。1944年 妻のベラが死去。 ベラの死去後は花嫁と花婿を主題に繰り返し描いていた。1947年フランスに戻る。1950年 ヴァンス(南フランス)に住んで、陶器を制作。1957年頃から、ステンドグラスの制作を始める。 メッツ大聖堂(北フランス)、ハダサ病院(エルサレム)等に シャガールのステンドグラスがある。1964年パリのオペラ座の天井画を制作。1966年17点の連作『聖書のメッセージ』をフランス国家に寄贈。 マルローはこの連作を含むシャガールの作品を展示するための 国立美術館の建設を推進、1973年、ニース市が土地を提供する形で、86歳の誕生日にニース市に 「マルク・シャガール聖書のメッセージ国立美術館」(現国立マルク・ シャガール美術館)を開館。1966年から20年近く暮らした、ニースに近いサン=ポール=ド=ヴァンスの 墓地に眠る。 「マーグ財団美術館」に大作がある。死没月日1985年3月28日
~サイズ~
額 : 75×99cm
ポスター : 51×74cm
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